第57章 最後に見た彼は 椚章臣
「送っていきますから、はやくしなさい」
いつまでも笑っている斎藤に椚はイラついたように言った。
それを聞いて彼女はプイッと顔を背けた。
「年上に対する物言いとは思えません!一人で帰りますからさっさと行ってちょうだい!」
「………何を拗ねているんですか、若作りもいい加減にしなさい」
「あんた本当に命ないわよ?」
凄みを効かせる斎藤に、椚は初めて笑顔を見せた。
あぁ、やっと。
彼女の素が見れた。
「はぁ、もう馬鹿らしい。で……送っていってくれるの?」
「はい……ですが思ったより早く帰れそうですから、食事でもどうです?」
「わぁ、じゃ美味しいところね。」
ご飯の話になると分かりやすい。斎藤はコロッと笑顔になって鼻唄混じりに鞄を下げて上機嫌になる。
「…………ふッ…」
「ん?何笑ってんのよ。」
「別に……ククッ…」
その単純さに思わず吹き出してしまった。それを知らぬ斎藤はまぁいいかと音楽室の戸締まりをし、待たせていた彼のもとへ駆け寄る。
電気の消えた学院に、二人の月影が不気味に写った。
「………そういえば」
「何?」
「新人の彼、付き合う女性が見つかったようです。」
「…………あぁ、あの新しく入ってきた人ね。」
椚が言うのは同じ生物担当の彼のことだろう。しかし……。
「だから何よ」
そう聞けば、椚はそっぽを向いた。
変なヤツだなぁと思うも斎藤は口に出さなかった。
そんな変なヤツに夢中なのは、自分だからだ。
「……ねぇ椚くん」
久しぶりに名前で呼べば、彼はそっぽを向けるのをやめた。
「………………………大事なことは、ちゃんと話してね。」
何となくしんみりとするのが嫌でずっと言わなかったが………。
斎藤はついに口にした。椚からの応答を期待してはいなかった。
だが。
「…………………………本当は」
彼は答えた。
「話したいことが、たくさんありました。」
ただ静かに。
前を向いて。
斎藤の顔は見ずに。
「過去形なわけ?」
それをわかってか彼女も彼の顔を見なかった。
「いいえ」
椚は首を横に振った。
「よろしい。じゃあ聞いてあげましょう。」
斎藤は微笑んだ。
椚は、その笑顔を見ようとはしなかった。
月だけがその笑顔を見ていた。