第55章 碧の空を見上げてみたり 乱凪沙
肩で息をした凪沙さん。
もうとっくに電車に乗っていたはずなのに。
引き返すなんて、馬鹿じゃない。
「…………何で泣いてるの?」
困ったように凪沙さんは聞いた。必死に答えを探すその顔に同じく肩で息をした私は微笑み返した。
「何ででしょう」
私って本当に馬鹿。
「…………あんずさん。私、小さい頃にある女の子とすんでいたんだ」
でもその瞬間。
「…………よだかの星って知ってるかな。宮沢賢治の本」
世界が止まった気がした。馬鹿とか何とかもうどうでもいい、そんな世界に私は留まった。
「…………彼女は、その本が大好きでよく読み聞かせてくれた。私は正直、あんまり好きじゃなかったけど。あまりにも嬉しそうに笑うから私はその物語を読む女の子が好きだった」
「…」
「…………あんずさん…もしかして…」
凪沙は何かを思い出そうとしていた
その時、急に私の脳内に走馬灯のようなものが駆け巡った
凪沙と過ごした日々
父さんもいる。嬉しそうに、皆笑ってる。父さんは頭を撫でてくれていた。私は感情のない凪沙の手を握りしめて笑っていた。
「………知りません」
気づけば口走っていた。
「人違いですよ」
私は笑ってみせた。凪沙はキョトンとした後に、微笑み返した。
「…………そう…だよね。もう、名前も覚えてないんから。二度と会えないのかもね。」
「……」
「…………アイドルになった私のこと、見てるのかな」
凪沙は空を見上げた。遠い目をしていた。
空が、碧い。青いんじゃなくて、碧い。
よだかはこの空を飛んだのだろうか。こんな、空を。
決して明るくもないこの色の空を。
「………………見てますよ」
私は同じく空を見上げながらそう言った。
「ちゃんと…………見てるよ、凪沙」
あぁ、折角知らんぷりしたのに。
もうこらえきれない涙が洪水のように流れ落ちた。
「…………うん、わかってるよ」
凪沙はそっと私に寄り添う。
「…………遅くなって、ごめん」
彼は私の手を握る。
暖かい、あの日と同じ体温。
この暖かさがあることが今はとても嬉しい。
父さん。今私達は支え合ってます。
ただ、そう思って。あなたがいる、この空を見上げています。