第51章 【ハハコイ】ヨウジキ③
その時感じた胸騒ぎは決して気のせいではなかった。
母は男の機嫌をとって、オレに手を挙げるようになった。
一度、振り下ろされた平手は、直ぐに感覚を麻痺させたようで、初めは叩いた後に気まずそうにしていた母も、二度三度と繰り返していくうちに、平然とした顔でオレの身体と心を痛めつけるようになった。
そして、男の機嫌取りのための暴力が、母のストレス発散のための暴力に変わるのに、さほど時間は掛からなかった。
オレにその男がイラッとした顔をする度に、その男が母に冷たい態度をとる度に、オレが母に思わず甘えた行動をとる度に……
狂気じみた目で何度もオレに手を挙げる母に、うずくまって謝りながら、ひたすら嵐が過ぎるのを待った。
そして、身体はまたあっという間に絆創膏だらけになった。
「出て行きなさいっ!!私が仕事に行くまで帰ってくるんじゃないわよ!!」
グスッ……おかーしゃん……
部屋から追い出されてアパートのドアの前で座り込んだ。
母から受ける暴力は、前の男のそれと比べたらずっと力も弱く軽いものだったけど、心に与える衝撃は比べものにならないほど大きいものだった。
「英二くん……?」
隣のおばさんがドアを開けてオレの様子をうかがった。
慌てて拳で涙を拭うと俯いておばさんに背中を向けた。
「ねぇ、英二くん、その赤いほっぺ、どうしたの……?さっきも凄い音してたけど、もしかして、お母さんに叩かれたの……?」
転んだの……、子ども心に母を庇った。
そんなことないでしょ……?、そう怪訝そうな顔でおばさんはオレの腕を掴むと、それから、しゃがみこんで視線を同じにした。
「違うってば……さっき、転んだの!!」
おばさんがオレのことを心配してくれているのは分かった。
でも本当のことを言ったら、母が困ることくらいもっと容易に想像がついた。
絶対言わないもん!そう思っておばさんの手を振り払うと、ダッシュでその場から逃げ出した。