第1章 命
「女を捨てよ、月詠」
遠い記憶の中、男は少女に語りかけた。
無情にも初潮を迎え終え、まだ女として目覚めたばかりの己の性を否定するように彼は言い放つ。そして不公平な命令にも意味があるのだと教えるように、彼は慈しみを込めて諭し続ける。
「護られるのではない。護りたいのであれば、女など捨ててしまえ。太陽のように人の上に輝けなくとも、人知れず地を照らす月(おまえ)の美しさを俺だけは知っている」
男から受け取った言葉は何故か、少女の胸には響かない。確かに「太陽を護る力」を欲したのは少女であり、男はその願いに応えた。本来ならば溶け込むように甘い言葉だったのかもしれない。何せ少女を異端の目で見る事もなく、軽蔑もせずに受け止めた初めての男だったからだ。その上、少女の望む「力」を伝授してくれるのだと言う。これ以上の恩情は、きっと誰に求めても得られない。
「俺だけは見ていてやる」
けれど少女は見抜いていた。目前の男は、彼女など見ていない事に。
「俺だけはお前を護ってやる」
少女は気づいていた。彼の言葉には、彼女に対する誠意はない事に。
「女を捨てよ」
再び呪文のように繰り返した男は、吉原を護る術を全て教えると約束しながら幼い娘にクナイを手渡す。重く冷たい鉄の塊は、まるで幼子にこれから向き合わなければならない「番人」としての荷の重さを伝えているようだった。そして荷を背負うには、女としての人生を諦める覚悟が必要である。その覚悟を証明しろと、目の前の男は言っているのだ。
ならば、と少女はクナイの刃を顔に押し当てる。原作知識の中にある「月詠」がかつてしたように。
けれど、彼女が肌を引き裂く気配は一向になかった。ただただ思案するように、額へ切っ先を軽く当てているだけである。