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君に十進法

第9章 空けもの



会いたい。今すぐに、彼の顔が見たい。彼の前に立って、彼の目が見たい。あのきれいな瞳に、私を映してほしい。

私は着の身着のままで廊下に飛び出す。下駄箱の上が定位置の、家の鍵を握り、玄関のドアを開ける。ひんやりとした風が舞い込む。

「うわっ…!?」

『………っ?』

見上げると、大きく見開かれたふたつの宝石。その表面には、真っ赤に染まった私が映っている。

「…ど、どうしたの…?そんな急いで…」

『椎…。』

いつもこうだ。彼に何か言おうと考えても、いざ目の前にすると頭の中が真っ白になる。

安心して目頭があつくなるも、それを必死にこらえる。

「あの…さ、昼間のことなんだけど。」

彼が少し目線をそらして、決まりが悪そうに言う。そして、だいぶ高い位置にあった頭を私の前に下げる。

「ごめんっ…本当に、ごめん。俺…なんか、昼間おかしかった。絵夢は、何も悪くないのに…勝手に腹立てて…」

『それはっ…私が悪いんだよ!私が連絡もしないで椎のバイト先に行ったから…』

「え………?」

『そりゃ驚くよね…で、でも本当に知らなかったの!先輩に気晴らしにって連れてかれたのが…たまたま椎のバイトしてるお店で…』

言い訳めいたものに聞こえるかもしれないが、彼には誤解されたくなくて、つい自己弁護のような形をとってしまう。これも、彼なら信じてくれると思っての行動だ。

『…でも、椎の制服姿…似合ってた…から、さ』

「っはぁー…。」

『ぅえ……?』

いきなり彼が大きなため息をつく。まだ、怒っているのだろうか。私の不安が相当顔に出ていたのか、彼はそっと頭を撫でる。

「ごめん。絵夢に何もやましいことがないのは…もうわかった。」

『………?』

彼の言葉の意味がわからず、惚けた顔になってしまう。やましいというか後ろめたいというか、そんな感じのものは山ほどある。しかし彼はいつもの優しい微笑みを浮かべている。

「バイト…あがるの遅くなったからって、ケーキもらったんだ。後でいっしょに食べよ?」

『う…うん、ありがとう。』

無事に彼の怒りも収まり、この出来事は一件落着となった。彼の機嫌が直った理由はよくわからないが、これからは、もう少し彼といる時間を増やそうと思う。


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