第15章 小心もの
私が求めていたのはこれだ。この大人の余裕が幾分かでも私にあれば、こんなに悩むことはないのだ。
『マサさん…私、余裕なくて。自分のことでいっぱいいっぱいで。カッコ悪くて…もうよくわからないんです。』
私の言葉に、彼は驚いたような反応を示す。しかしそれは一瞬で、すぐに平生を取り戻す。
「それは、ダメなことなの?僕は、自分のことも人のことも大事にできて、脇目も振らず突っ走る絵夢ちゃんが好きだよ。」
思い切り私を叱ってドン底に突き落としてくれた方がどれだけ楽だったか。落ち込んでいるときにかけられる慰めの言葉ほど自分をみじめにさせるものはない。
そうすれば、彼の言葉をまっすぐに受け止められないひねくれた自分も見なくて済んだのに。彼の優しさも今の私にとっては毒にしかなりえない。
『マサさん、あったかい…。』
「絵夢は小さいね。おじさんの手にすっぽり顔がおさまっちゃう。」
『マサさんの手が、大き…いか…ら。』
彼とのたわいない会話になぜか一度止まったはずの涙が次々とこぼれ落ちる。彼の存在を認識することで自分をここに止めていられるような気がする。
『マサさん…私、今一人になったら消えちゃうかも。』
私たちを囲む夜の闇は嫌に穏やかで吸い込まれそうな錯覚にさえ陥る。静かに目を閉じると、見えるのは暗闇だけなのになぜか体は暖かいものに包まれている。
「大丈夫。僕が君を、離さないでいてあげるから。」
そこで初めて、自分が彼の腕の中にいることを自覚する。大きくて暖かで、ほのかな柔軟剤の香りが鼻をかすめる。
こんな時でも、椎のことを思い浮かべてしまう私のこれは恋と呼べるものなのだろうか。
「好き」という気持ちがこんなにも痛くて重いものなら、いっそ投げ出してしまいたいとも思うがそんなことできないのは重々承知だ。
「僕はいつでも君の手が届くところにいるからさ。君がいつでも僕をつかまえられるように。」
今だけはこの静かな空間に身を置くことをどうか許してほしい。明日からまた、痛みも重みも全部背負っていくから、どうか今だけ。