第1章 人間と国とシフォンケーキ(APH/ロヴィーノ・ヴァルガス)
扉の前に、ロヴィーノさんが立っていました。
扉というのは、私の家の玄関の扉のことです。私はちょうどその時、市場へ買い物へ出かけた帰りだったのです。果物を買って、野菜を買って、家に戻ってきたら扉の前に、ロヴィーノさんが立っていました。
後ろ姿だけでもすぐに分かります。ふわふわの茶色の髪の毛、わざと気崩している黒のジャケット、薄い色のスリムパンツ。きっともっと近くに寄れば、いつものように爽やかな甘い香りがふわりと漂ってくることでしょう。
次に目に止まったのは、真っ赤な薔薇の花束でした。私の歳と同じくらいの本数の、はっとするほどの鮮やかな赤。
ロヴィーノさんは、その花束を背中で隠すように右手で持って―――私が背後に立っていたのでとっても良く見えていたのですが―――何かぶつぶつ独り言を唱えていました。左手を持ち上げては呼び鈴に手をかけ、ゆっくり下ろすという奇妙な動作を繰り返しています。左手を上げて、下げて、上げて、下げて。その謎の儀式により醸し出される空気の重々しさたるや。声をかけるタイミングをすっかり失ってしまうほどでした。
軽く咳払いをする音、深く息を吸って吐き出す音、それから、よし、完璧だろ。と呟く声まで聞こえてきます。しかし呼び鈴はうんともすんとも鳴りません。
私は少し考えました。
ひとり暮らしの私の家をロヴィーノさんが訪ねているのは、きっと私に用事があってのことなのでしょう。現在家の中は空っぽです。いつも大変お世話になっていることですし、ここは思い切って、私の方から挨拶すべきなのではないのでしょうか。
「………ちきしょー、何ぐずぐずしてんだよ俺…………さっさといけって」
「あの、すみません」
「よし、3秒数えたらいこう」
「ロヴィーノさん?」
「tre、due、uno………………あ゛ー!くっそ!」
「ロヴィーノさん!」
「ちぎっ!」
私が大声を出したのがいけなかったのです。余程驚かせてしまったのでしょう。リスのような悲鳴を上げて、ロヴィーノさんはぴょこんと脇に飛び退きました。それから私のほうを振り返り、なまえ!?とうわずった声で叫びながら、玄関扉に背中を貼り付けました。