第5章 うつつか夢か
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消えた。
彼女が消えた。
消えた、というより、霧散、という表現が似合うと菊には思えた。
――ゴトン
「わっ!」
ぼーっとしていたせいか、肘で湯のみを落としてしまった。フローリングが薄緑色の滴をはじく。
まだ混乱の醒めない頭のまま、しばらく菊は動けずにいた。
「……ん……」
その音で起きたのか、耀が小さくうなる。
やがて顔をあげ、眠たげな目をこすりながら菊を見た。
「すっかり寝ちゃったある……」
のんきに伸びなどするが、すぐに菊と床の様子に気づいた。
「あーっ床にこぼしてるあるよ!? 菊? 聞いてるあるか菊?」
「い、今のご覧になりました?」
「なんのことあるか?」
鬼気迫る顔の菊とは対照的に、耀はキョトンとした。
狼狽をあらわにする姿が珍しく、耀は訝る。
「なにって、公子さんが……公子さんが消えたじゃないですかっ!!」
「……菊、もう寝るよろし」
「違います! 哀れみの目を向けられるほどもうろくしておりません!」
ドン! と効果音を響かせ言い放った菊だが、軽くあしらわれただけだった。
納得がいかず熱を込めて続けるが、眠たげな耀にはあまりききめがない。
しかし、ふと耀も公子の不在に気がついたらしい。
「公子がいないある」
「そう言ったじゃありませんか」
「……マジあるか?」
「マジです」
マジな瞳をした菊に、やっと信じたのか。耀は主人をなくした椅子を見つめた。
ころころ表情を変え、料理を美味しいと言ってくれた少女は、もうどこにもいない。
「公子さんがどうして消えたのかわかりません。ですが、消失点はありませんでした」
「そうあるか」
それきり二人は黙り込んだ。
放心したように、窓の外を眺め続ける菊。なにか思案中なのか、所在なくぼーっとする耀。
しばらくして、どちらからともなく席を立った。
そろそろ、色々限界だった。
菊は布団に入ってすぐ眠りに落ちた。
けれど、瞼の裏にはまだ公子の姿が焼き付いていた。