第32章 その毒林檎、一口ちょうだい
本気で、今までにないくらい
足に力を入れて走った
自動ドアの前に立ち、息を整えながら
携帯を見れば8時を回ってる
まぁギリギリセーフって事にしよう
せめてこれだけでも
ちゃんと届けないといけないし
「ぁー…」
蒼先輩がいる部屋の前で
いつも立ち止まってしまう
スッと入れた試しがない
この扉の向こうに、いるのに
時間が無いのも分かってるのに
どうしても、この匂いや
清潔に保たれた真っ白な壁、床、
静まり返った空間
全てが俺の動きを止める
ここは〝病院〟なんだと
言い聞かされているような感じ
大丈夫、分かってる
ここにいるのは治る為であって
いなくなる為じゃない
「フゥー…」
深く息を吸い込んで、吐いて
扉に手をかけた
少しも音をたてずに
ゆっくりと開く扉
そして、眠ってる蒼先輩
「…蒼先輩、来たっスよ。
走ってきたんでちょっと
汗くさいかもっスけど…」
傍から見れば俺の独り言だ
だけど、医者から言われた
沢山話しかければそれが刺激になり
起きる可能性が高くなる
俺の声は届いているから、と
「今日は前城先輩からの
プレゼントがあるんスよー?」
ベッドの横にある丸椅子に腰掛け
袋からテディベアを取り出す
…そういえばさっき西崎に
触られたよな…はらっとこ
撫でるようにテディベアをはらうと
そのフワフワした感触がより
伝わってきた
「ジャーン!
蒼先輩、何気に可愛い趣味なんスね!!」
まぁ、そりゃ、いくら俺が明るく言っても
返事がもらえるわけじゃなくて
ただただ目の前に
アナタの寝顔があるだけ
「言ってくれたら俺、いっくらでも
プレゼントしますよ?
なんたって俺はUFOキャッチャー
超得意なんスからね!」
昔からゲーセンに通っては
本当はいらないぬいぐるみやフィギュアを
取りまくっていた
その度に親に怒られたけど
「蒼先輩はやっぱこういう
クマちゃんが好きなんですか?
それとも猫とか犬とか?
兎とか鳥とかも可愛いっスよねー…」
なんとなく、想像した
色んなぬいぐるみに囲まれた
蒼先輩の姿
幸せそうなその笑顔が
なんだか懐かしかった