第8章 まず死体を転がせ(月島蛍)
「私、死んでもいいわ」
言葉の爆撃。
2人きりの教室で、突如落とされた爆弾に、心臓が縮こまった。
息を止めて左隣のなまえを見る。
窓際の席に座る彼女は、頬杖をついて夕陽を眺めていた。透明な肌の上で、長い睫毛が揺れている。
彼女は再び口を開いた。
「二葉亭四迷」
2つの言葉の意味が繋がる。
なんだ、と息を吐き出した。
「いきなり物騒なこと言い出すから、何かと思った」
「びっくりした?」
「……別に」
からかわれていたことに気づかされて、少しだけムッとする。
「あとは、夏目漱石」
見事僕の癇に障ることができて嬉しいのだろう。なまえは口元を手で覆って笑った。
その細くなった目が、悪気はないのよ、と伝えている。
『月が綺麗ですね』 と 『死んでもいいわ』
二人の文豪が愛を伝える言葉をそのように訳したという逸話はあまりにも有名だ。
この雑学は僕も以前から知っていたし、今回のテストの教科書の範囲内にも、それに関するコラムが載っていた。おそらくなまえはそれを読んでいたのだろう。
「蛍はどう思う、この台詞」
「クサいと思うよ」
「だよねぇ」
「僕なら恥ずかしくて死んじゃう」
「だよねぇ」
なまえには自分と近いものを感じる。
何に対しても本気を出さずに、のらりくらりとやり過ごす。
うまくヤマを張って、最低限のコツさえ掴めば、目立った才能はなくても、何でもそつなくこなすことができる。
僕となまえは似ている。
強いて違いを挙げるとするなら、
なまえは僕よりも素直で、そして僕よりも一枚上手だ。
僕は彼女には歯が立たない。
僕が常々性格が悪いと評される原因でもある、相手をわざと傷付けるための皮肉も、怒らせるための嫌味も、彼女には効果がない。
いや、違うか。
彼女を前にすると、皮肉も嫌味も言えなくなるんだ。
どこを突付けばなまえが怒るのかが全くわからない。塩を塗るための傷口がまるで見当たらない。
そうなるとお手上げだ。僕は彼女には勝てない。