第7章 Zapatillas(及川徹)
何分経ったのだろうか。
「お待たせしましたー、格好良い及川さんおひとつお届けでーす!」
その声を合図になまえは起き上がった。ベッドの上で座り直して、ふむふむ、と彼を眺める。
「うん、男前になったね」
「どう?どう?」
「だから格好良いってば」
おどけてポーズをとる彼。その姿を見てまたイライラが募った。
「じゃあいよいよ映画館へ…」
言いかけた及川の言葉を無視して彼のジャケットの胸元を乱暴に引っ張った。バランスを崩した及川はなまえの上に倒れこむ。その憎らしき頭をぐしゃぐしゃと撫で回してやると、「わぁ、やめてやめてー!」と悲鳴があがった。
「なにすんのさ!せっかくセットしたのに!」
ぷんぷんと怒る彼がうるさいので、キスをして唇を塞いだ。さすがに驚いたのか、むう、と押し黙る。
ぱちぱちと瞬きをする両目を見て、なまえは満足気に口を歪めた。
「やっと私のこと見てくれたね」
ねぇ、及川、気づいてよ。
私が欲しいのは外面を飾ったあなたじゃない。
鏡を見てる大きな背中でも、他の女の子に向ける育ちの良さそうな笑顔でもない。
私が欲しいのは、私を見つめるその真っ直ぐな視線だけなんだよ。
「ふぅん、そういうこと」
なまえの言葉の意味を理解したのか、及川も悪戯っ子のような目で笑った。
「よーし、それなら及川さんは決めました!
今日はお出掛けなし!」
そう言うとなまえの上にがばりと覆いかぶさった。布団ごと抱きしめられて、なまえもきゃー!とふざけて手足をばたばたさせた。
「今日は1日なまえとゴロゴロする日にします!」
「いいのー?せっかくお洒落したのに」
「いいの!」
「ジャケットにシワができちゃうよ」
「関係なし!」
きっぱりと言い放つと、及川はなまえに顔を近付けた。
鼻の頭が触れあって、とても近い距離で目線がぶつかる。
右目と左目、どちらを見たらいいのか迷ってしまうほど、近くなって、近くなって、2人は声を上げて笑った。
END