第46章 2万5000分の1のキミへ(月島蛍)
【1、月島蛍という名前】
月島蛍という自分の名前は、別に嫌いなわけではなかった。
こんな大人になってほしい、なんて親の願いじゃないから背負いやすい。あっさりしていて性に合ってる。そう思っていた。
だからだろうか。名前を間違われるのは、あまり気分のいいものではない。
「月島くんさ、さっきの授業……」
「うん。間違えられてたね、名前」
休み時間、最前列の席に座る月島の耳が、2種類の声をひろった。自分の名前について話していると気付いて目線を向けると、黒板の端に2人の女子が立っていた。
「『次の問題……月島ホタル』」
そう言って、”日直”と書かれた文字の下に貼られたネームプレートをなぞっている。あぁ、そうか、と思い出して月島は席を立った。
「訂正しなかったよね。月島くん」
「きっと面倒なんだよ。4月から、いろんな先生に間違えられてるから」
「でも字の並びが素敵だよね。月夜の下で飛び交うほたる」
「ほたるじゃないから」
思わず口に出していた。えっ、と小さい声が飛んでくる。だけど視線を合わせずに、黒板消しを右手で掴んだ。
「ケイだから。僕の名前」
そう言って白い文字を消していく。うん。知ってるよ、と訂正された女子が笑った。
「いい名前だね。月島くん」
「………」
月島は何も言わずに、黙って右手を動かした。
2人の女子が去った後、入れ替わるように別の女子がやってきた。制服のポケットに両手を突っ込んだ彼女は、黒板の横に貼ってある学年報を眺めていた。おそらく今月の行事を確認しているのだろう。やがて月島を横目に自分の席に戻ろうとして、ふと気が付いたように黒板の端まで戻ってきた。
“日直”の文字の下に貼られた、月島のネームプレート。
それをじっと見つめていた。月島は黒板を消しながら、今度はこいつか、と思った。
どうせまた、綺麗な水辺を想像して、良い名前だと言うのだろう。僕の名前は、ほたるじゃないのに。
「りんごあめ」
「えっ?」
聞こえてきたその言葉に、右手を止めて横を向いた。
「うん。りんごあめだ」
彼女はネームプレートを見つめたまま、独り言のように呟いた。「いい名前だね。月島くん」
そして月島本人には目もくれずに、なまえは自分の席へと戻っていった。