第44章 惚れてしまえばあばたもえくぼ(灰羽リエーフ)
眠いのに、眠りたくない夜がある。
確かに身体は疲労を感じて、まぶたも重く閉じるのに。
死にたくないと懸命に泣く赤ん坊のように、意識を手放すことを惜しいと思う夜がある。
1日の終わり。マネージャー業務で疲れた手足をベッドの上に投げ出して、電気の消えた暗い部屋の、天井の染みを見つめていた。
寝たくないのはなんでだろう。今日という1日に、まだ満足していないからだろうか。それとも部誌の記入に気を取られ、大好きな年下の恋人とさよならの挨拶を交わしそびれてしまったからだろうか。
幸せじゃない。
ベッドの中で、唐突にそう思った。今夜の私は、なぜか幸福とは一番遠い場所にいる。意味もなく涙が出そうになる。幸せになりたい。けれど幸せとは何か、別の言葉で言い換えられない。
掛け布団の中で仰向けに寝転がったまま、充電器に繋がれたスマホに手を伸ばした。暗闇でパッと光った画面に目が痛くなる。直視しないようにスマホを斜めに傾けて、LINEのアプリを起動した。
灰羽リエーフ、と書かれたトーク画面の、無料通話のボタンの上で指が揺れる。かけてもいいだろうか。ちょっと迷った。だけどアイコンに小さく映る彼の笑顔に一層胸がキュッとなる。このまま眠れるわけがない。
このまま眠れば、明日が来ないような気がして。
今の自分は、世界でたった独りのような気がして。
そっと指でボタンに触れた。それから、スピーカーをONにしてスマホを耳の横に置いた。また天井の染みを見つめる。真っ暗な部屋に、独特な呼び出し音だけが響いた。
1回、2回、3回。
今夜はもう寝てしまっただろうか。不安がよぎったところに、音が途切れて、はぁい、とリエーフの声がした。
『誰ですかぁ?』
耳もとで聞こえる明るい声が、自分のいる真っ暗な部屋と不釣合いに思えた。『もしもし?』と尋ねる彼の後ろで、途切れ途切れに音楽と効果音が流れている。テレビでも見ているのだろうか。