第35章 時は過ぎゆきて(菅原孝支)後編
「出番だよ、菅原」
幕の向こうから聞こえる割れるような拍手に混じって、なまえの低い声が飛んできた。
前に向き直ると、明朗快活な彼女の姿はどこにもなくて。
代わりに、身分と恋との狭間に揺れる青年が一人。
これ、と差し出された傘を受け取る代わりに、両手に持ってた保冷剤をゴミ箱に投げ捨てた。
あぁ、とうとう終わりがきた。
舞台の袖に立って、幕の降りたステージを眺める。
今までの練習は、全てこの本番のためだったのか。
この1回が終わったら、俺はまたいつもの自分に戻るのか。
『お待たせしました!次の準備が整いましたので、皆さんステージにご注目ください!』
司会の声が鳴り響く。水面の様に揺れていたざわめきがすっと静かになった。
みょうじ、と呟いた。役に入りきった彼女に、本名で呼んでいいのか迷ったけれど。「みょうじ……俺、こわいよ」
『さあ、3年4組の発表です!皆さん、盛大な拍手を!』
音楽と共に雨のような拍手が沸き起こる。
幕が開いた。暗転された世界の向こうから、誰かの呼ぶ声が聞こえる。
「大丈夫」
ぐい、と肩が引き寄せられた。「楽しんでいこうぜ」
見上げたら、大好きな笑顔が俺に向けられていた。
この人のことを好きだと思った。
菅原孝支として彼女を好きだと思ったのか、
それとも100年前の少女として、彼を好きだと思ったのか、
もはやそれはどうでもいいのか。
傘を握りなおして、頷きだけを返した。
前を向いて、大きく大きく深呼吸。
そして1歩。
彼女に背中を押されて踏み出した。