第16章 願いましては(赤葦京治)
【その日から2日と1日と3ヶ月後 7月】
バタン、とドアが音をたてて閉まった。
変な奴ら、と言い残して消えた木兎の足音が遠ざかるのを聞きながら、なまえはノートの上を走るシャーペンの先を見つめた。自分で頼んだくせに、いざ彼の苗字と自分の名前が並んでいるのを見ると、相当くすぐったい。
恥ずかし紛れに、「初めて京治とぶつかった時さ、」と話しはじめた。
「拾ったプリントの名前見てびっくりしちゃったよ。え、この人なの!?って」
「俺だってびっくりしましたよ。いつも聞いていた声が、廊下でぶつかった人から飛び出てくるんですもん」
「もっと爽やかな文学青年かと思った」
「俺も、もっとおしとやかな人だと思ってました」
そう言って目を合わせて、どちらともなく笑いあった。
「あの映画、つまんなかったね」
なまえがぽつりと言うと、赤葦も、あぁ、と苦笑した。「なんか、知らないうちに口から出てたんですよね」
初めてなまえとぶつかったとき、彼女の謝る声を聞いてすぐに分かった。
あ、この人だ、と。
だから頭の中にあったのは、彼女の声を聞きたいという気持ちだけ。少しでも会話を続けようとした結果、気付いた時には観たくもない映画に誘っていた。
「私だって、絶対つまんないって思ってたのに、なんでかいいよって言っちゃったんだよね」
3ヶ月前の週末、2人はちゃんと映画を観に行った。もちろん木兎は抜きで。
退屈な映画を観て、適当に喫茶店で話をした。
特に心ときめくこともなかったはずなのに、1日の終わりには2人は恋人同士になっていて、ちゃっかりキスまでしていた。
本当に訳がわからない話だ。
「やっぱ、これが運命ってやつなのかな」
なまえはわざと芝居がかったように言った。
歯の浮くような台詞で恥ずかしかったからだ。
「京治のこと、出会う前から好きだって思ってたんだ」
静まり返った部室に、なまえの声だけが響いた。
赤葦はきょとんとした顔をしてから、ふっと笑みを零した。
“俺もですよ”
ノートにそう書かれていく大好きな文字を見て、なまえはくすぐったくなって笑ってしまった。
END