第1章 庭園の蝶
僕が三番隊副隊長に就任したばかりの頃、市丸隊長は僕をよく隊舎の庭に連れて行った。
思えば、緊張が取れずなかなか隊に馴染めなかった僕への、隊長なりの心遣いだったのだろう。
春には庭は花が咲き乱れ、風に乗せて芳香を漂わせた。市丸隊長はその園に足を踏み入れ、ひとしきり花を愛でる。いつも僕はその様子を眺めていた。
ある時、盛りを迎えた花のあいだを蝶が翔び回っていた。興味をひいたのか、隊長は迷うことなく蝶の群れへと歩いて行く。
花に囲まれ、その一匹に手を伸ばす。物事に余り関心が無さそうだと思っていた市丸隊長のその姿は、僕には意外だった。
「…お、捕まえた」
ふいにぽつりと呟き、隊長は伸ばしていた腕を引っ込めた。手の中の捕らえた蝶をやや驚きながら見つめている。
「割と簡単に捕まるモンやな」
隊長は今度は指の間に蝶の脚を挟み込み、陽の光にかざして見上げてみせた。
咲き誇った花に囲まれ、腕を掲げて光を受けながら佇むその光景は目がくらみそうに眩しく、強烈に僕の脳裏に焼き付いた。
「…イヅル、どないしたん?」
「……いえ」
ぼうっと呆けていた僕に気付き、隊長が呼び掛けてくる。見とれていたことを悟られまいと、僕は苦し紛れに思い出した話をした。
「…昔読んだ本に、蝶を捕まえて食べてしまう話があったんです。僕は蝶なんて素手で捕まえられない、と思っていたから」
「そう」
僕の話に適当に相槌を打ったかのように見えた。市丸隊長はふいにニヤリとし、ほな、とこちらを向く。
「食べてみよか?」
「えっ…」
僕が制止する間も無い。
蝶は隊長の口の中に収まっていた。
「食べちゃったんですか」
「食べたよ」
「…本当に」
隊長は涼しい顔で笑っている。近付いてよく見ると、綺麗な薄い唇に蝶の翅の鱗粉が付いていた。
銀粉を散りばめたように艶めくその唇に吸い寄せられ、触れたくなる衝動に僕は必死で抗う。
「どんな味やったか、知りたいんやろ?」
僕の邪心などよそに、隊長が心中察したとばかりに尋ねてくる。その様子は子供のように無邪気で屈託がない。
「どんな味でした?」
蝶の味よりも気になるものがあったが、話を合わせるつもりで聞き返した。