愛慾の鎖ーInvisible chainー【気象系BL】
第4章 落花流水
雅紀side
静かになった部屋の中で、そこにぽつんと残された椅子。
役目を終えたそれは寂しげで‥まるで自分自身を見ているかのようだった。
誰に確かめるまでもなく感情を映さない智の瞳は、私との間柄を断ち切るためのものなのだろう。
一度籠から出て、美しい風景のなかで羽ばたけることを知ってしまった鳥は、狭いそこに戻ってくることは無い。
愛おしい者の瞳が私を映すことは‥もう二度と無いだろう。
この手に抱くことも‥‥
私は手の中にある、涙で湿ったハンカチをそっと握り締める。
それでも深手を負った私の流す血を拭おうとしてくれたあの青年のお陰で、少しは救われたのかもしれない。
言葉は多くなくても、私が愛おしい者を失ってしまった悲しみを軽蔑することなくいてくれた。
彼には‥感謝しなければな‥。
そう思って視線を上げると、庭に面した窓からは午睡の頃を過ぎたような陽が射し込んでいる。
広大な敷地を持つ松本家は木立に囲まれた城のようなものだから、無邪気だった頃はよくその中で遊んだりもした。
もう‥松本とも終わりだ‥‥。
私は幸せだった思い出とも決別するような思いで窓辺に立ち視線を巡らすと、艶のある漆黒に背広に並び、藍天鵞絨(あいびろうど)の背中が寄り添うように、木立の中に消えてゆくのが見えた。
全てを覆い隠すような木立の中‥‥
私が失望の深い溜め息を吐いた時だった。
部屋の扉を3回叩く音がする。
そして気遣わしげに開いた扉の向こうから、先程の青年がそっと顔を覗かせると
「お飲み物を‥と‥。」
伏し目がちにそう言ったっきり、立ち止まってしまった。
「ありがとう‥いらぬ気を使わせてしまったね。」
私が声を掛けても、盆を抱えたままかぶりを振って、部屋の中に入ってこようとはしない。
そんなに恐れさせてしまったのだろうか‥。
無理もないか‥男への慕情を募らせて泣く輩など、薄気味悪いだけだろう。
「そこへ置いてくれないか‥それと、これをこのまま返すのは心苦しいのだ‥‥。どうだろう‥私の屋敷に取りに来てはくれまいか?」
扉口に佇む青年を怖がらせないように、静かにそう告げた。