【HQ】片翼白鷺物語(カタヨクシラサギモノガタリ)
第1章 「エピローグ」
あっ、と思ったその瞬間、ごく至近距離で鶯色を滲ませた金色の瞳が焦りに揺れるのを見た気がした。冷静沈着、という言葉がぴったりな彼のそんな表情を、珍しいな、と思う間も無く激しい衝撃が襲う。
「朔弥!」
「キャアアアっ、紀伊くん!」
強く強く、コートの床に体が叩きつけられる。誰かが叫ぶ、悲鳴が上がる。そのどれもが次第に遠くになっていって、発火したみたいに痛み出した左肘に、ああ、これは結構まずいかもしれない、肘は嫌な音が鳴ったし頭も打ってしまった、とまるで人ごとのように感じながら硬く瞑っていた瞼を薄っすらとこじ開けると、呆然とした面持ちで突っ立っているチームメイトとまた目が合った。良かった、どうやら彼は無傷らしい。体格差に少しへこんだけれど、そんなことよりも大切なエースを壊さなかったことに酷く安堵した。
なにか言わなきゃ、大丈夫だよ、君のせいじゃない、試合を、――そうだ今はまだコートの上だ、だから。
「しあい、つづけて」
みっともなくわなないた唇はきっと酷く色褪せているに違いない。手足の指先から血が一気に抜けたみたいに冷たくなっていく感覚。ふうふうと息が上がるのに、酸素がちっとも肺に入らないみたいだった。それでもなんとか絞り出した言葉に、床から見上げた彼はぐっと唇を引き結ぶ。
「勝って」
それだけ言うのにすっかり全力を使い果たした体を、おもむろに担架に乗せられる。もう目も開けていられない、と視界を閉ざすと、膜を張ったようにぼやぼやと聞こえていた周りの音がほんの少しだけクリアになった。口々に自分の名を呼ぶチームメイト達の顔を脳裏に浮かべる。鷲匠監督、きっと凄い剣幕だな、と背筋を震え上がらせたところで、低く凛とした声が届いた。
「必ず勝つ」
こうして、蒸せるような暑さの中にも関わらず、揺れる担架の上で体を震わせ高校生活最後の試合を退場し、あっという間に最終章の幕を下ろした。
紀伊朔弥、そして牛島若利。高校生活一年目、まだ十六歳の夏のことだった。
(エピローグ・了)