干天の慈雨
※最新話までのネタバレを含みます。
普段創作を始める時、絶対に変えたく無い&描きたい場面をリストアップしておくのですが、猗窩座戦もその内の一つでした。
義勇さんおちの夢小説ではあるのですが、世界観を薄くしてしまうと、どうしても言葉や感情の重みが失われてしまうので、可能な限り原作をなぞり、鬼側のエピソードも描く様にしています。
というか、私が義勇さんを好きになったのも、彼があの世界で、あの価値観を持ち、あの性格になったからこそなので、崩したくはありませんでした。
原作を深く読めば読むほど、干天の慈雨は、優しい鬼退治の話に最もマッチした型なのに、一度しか使われなかった事が、残念に思えてなりません。
かといって、乱発してしまっては、特別感が薄くなってしまうので、作者様も悩まれたのかと思います。
そもそも、基本の呼吸が、日の呼吸から派生した物だと考えると、かなり異質な型なんですよね。縁壱さんですら、鬼は滅する物と考えており、日の呼吸の全ての型が、攻撃的。珠世さんは、完全に理性を取り戻しており、人間を攻撃する意思が無かったので、例外的に見逃したのだと思います。
どうして、水の呼吸にだけ、あの優しい型が生まれたんだろう、と考えると、作品には登場しない隊士の苦悩が浮かび上がります。きっと、最初に水の呼吸を極めた剣士は、とても心優しい人だったのでしょう。殺したくない。でも、殺さなくてはいけない。そんな葛藤から生まれた型に思えます。
作品全体を俯瞰した時、干天の慈雨を使えるタイミングは、猗窩座戦だけだと感じました。他の上弦は、首を差し出す気が更々無かったですし。
ただ、あの場で、炭治郎も義勇さんも、余裕が無さ過ぎて、猗窩座の後悔に気付けなかった。だから、夢主を使いました。二次創作だから出来た事です。
この後も、まだ、優しい鬼退治が続きます。どうか、最後まで見届けてください。
ここからしばらく、連日更新します。
[作成日] 2021-04-18
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