みなさんは、「亀に乗って竜宮城に行く」話を知っていますか?
そうです「浦島太郎」です。
浦島太郎のあらすじを簡単に言うと、浦島太郎は助けた亀に竜宮城へと連れて行かれます。竜宮城で楽しい時間を過ごしお土産を持って村へと帰りました。しかし村は永い月日が経って、知らない人ったいばかりで溢れていました。浦島は寂しくなりお土産にもらった玉手箱をあけます。すると箱の中から煙が立ち込め、浦島はおじいさんになってしまいました。
と、まあこんな感じのお話です。
本を読んだことがない人でも知っている有名なお話ですよね。
私は常々思っていました。
亀に乗って行ったのは浦島だけでなく村人全員だったならどうだったのだろうと。
全員が竜宮城へ行き、そして揃って村へ帰ってきたとしたらそれでもやはり永い年月が経っていたことになるんでしょうか。
村人が誰一人気づかなかったとしても。
もしそうだとしたら、永い月日は経っていないことになるのではないのでしょうか。
永い月日が経っていないということは、そこにいる村人はみんな自分の知人なわけです。
とすると、竜宮城で過ごした時間も村での時間も同じ時間が流れていたということになるのではないでしょうか。
その時、私の頭は混乱しました。
そして私はまた思うわけです。
なまじ客観的に時間やら空間やらを考えるからややこしいことになるんじゃないかなと。
帯に短し、たすきに長しっていう言葉ありますよね。
時間なんてものは人間の自分の意識の産物なんだって思ったらいいのかもしれませんね。
世界中に一人も人間がいなかったら時計やカレンダーになんの意味があるのでしょうか。
過去から未来にちゃんと行儀よく流れている時間なんてはじめからないのかもしれません。
人間なんて生き物はそれ自体がいい加減にできていて、そしたら時間なんてものもいい加減なんじゃないかなあ。
なんでもかんでもきっちり完璧なんてものはなくて、そんなものがあるなら「異常」だったりするもんなのかなって思います。
確かなのはこうして流れる時間だけ。
そう思ったらいいのかなあって思ったりもします。
いきなりなんでこんな話をしたのか、自分にもわかりません。
ただ未来を見ることに疲れただけかもしれません。
過去から現在、現在から未来。
当たり前のように流れる時間の中で、過去を悔やんだり未来を見据えて悩んだりするのがしんどいだけで、だからこんなことを考えたのかも。
浦島は村へ戻って、知人がいなく寂しくなって結局おじいさんになりました。
このとき、浦島は「現在」より「未来」を選んだってことになるのかな。
浦島として生きた方がよかったのか、それともおじいさんとして生きた方がよかったのか。
それは浦島自身が決めることだけど、もし皆さんが「そうなった場合」どちらを選ぶでしょうか。
「今」か「未来」か。
たぶんどちらを選んでも「正解」です。
自分が選んだことが間違いだなんて思いたくないです。
うん、何が言いたいのかわかんなくなってきた。
まあ、いいや。
語りすぎましたね。
亀に乗った気分で夢の中へ飛び込むことにします。
おやすみなさい。
素敵な夢を。
また明日、お会いしましょう。
では、アリスでした。
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