第15章 死穢八齋會
そのとき。
ふと、緑谷と目が合った。
ほんの一瞬。
彼は彼女の顔を見たが、見覚えのある人物だとは思わなかったらしい。
ただ、目の前の女も知崎と行動を共にしている人間だと判断したのだろう。
その視線には、最大限の警戒が込められていた。
彼女は、心の中で小さく息を呑んだ。
――緑谷君。ごめんね。
本当なら、今すぐにでも壊理を連れて逃げてほしい。
けれど、そんなことを口にするわけにはいかなかった。
彼女はゆっくりと一歩前へ出た。
「……壊理」
声の調子を変える。
知崎の前で見せる、愛想のよい女の声ではない。
柔らかく、優しく、幼い子どもが安心できるような声。
壊理の怯えた瞳が、彼女へ向けられた。
彼女は、誰にも気づかれないほど微かに個性を発動させた。
精神領域。
相手の心へ直接働きかける、繊細な干渉。
無理やり意識を奪うのではない。
恐怖に支配された心の奥へ、ほんのわずかな呼びかけを届ける。
初めて会った少女。
彼女のことを知るはずもない少女。
それでも、今だけは。
「壊理、ママのところに戻っておいで」
彼女は両腕を広げた。
その言葉は、静かに少女の心へ届いた。
壊理の瞳が揺れる。
緑谷の胸にしがみついていた小さな手が、少しずつ緩んでいった。
「……え?」
緑谷が戸惑う。
壊理は、彼を見上げた。
それから、ゆっくりと顔を上げ、彼女を見つめる。
彼女は微笑んだ。
大丈夫。
そう伝えるように。
次の瞬間。
壊理は、するりと緑谷の腕から抜け出した。
「壊理ちゃん!?」
緑谷が驚いて手を伸ばす。
けれど少女は、彼の手をすり抜けて、まっすぐ彼女のもとへ走ってきた。
そして。
小さな身体を、彼女の胸へと飛び込ませた。
「……っ」
彼女は、壊理を抱きしめた。
細い肩。
震える身体。
服越しに伝わってくる、幼い子どもの体温。
腕の中に収まった少女は、彼女の服をぎゅっと握りしめていた。
まるで、もう二度と離されたくないとでもいうように。
彼女は、少女の背中へそっと手を添えた。
「……大丈夫」
囁くように言う。
「もう、怖くないよ」
その言葉を口にした瞬間、胸の奥が痛んだ。