第21章 父と母
「お待たせしました。」
ふたつのカップを小さなテーブルに置くマスター。
店内のオレンジ色のダウンライトが、ティーカップの中のお茶を更に紅く魅せる。
「……美味しい。」
一年ぶりのアールグレイが、気疲れした心に染み渡る。
私がこの近所に越してくることを歓迎してくれてるみたいだ。
だってすっごく美味しいから、このお店が行きつけになっちゃいそう。
それに、これから夢を追いかける私を後押ししてくれてるような、前向きで爽やかな柑橘の香り。
紅茶にして……良かった。
この選択をして……良かった。
店内を見回して見つけた、小さくて控えめな張り紙。
“アルバイト募集”の、不器用な手書き。
このアールグレイの味に、賭けたくなった。
私はもう、何でも自分で決められる。
自分の人生は、自分で決める。
この小さな張り紙は、歩み出した私をもう一歩
前に進めてくれる気がした。
「あの。ここでバイトさせてもらえますか?」
カウンターの向こうにいたマスターは、眼光鋭い眼で私をじろっと見た。
「高校生?」
「はい。高3です。」
蜂楽を“彼氏役”に選んだあの時のような……
インスピレーションを信じて生きてやる───。
「いいよ。よろしく。」
マスターは表情を変えずに、右手を差し出してきた。
自分の選択が正しくても、間違っても。
選択することをしない“選択”は……
もう私の辞書にはいらない。
意志を固くして、私はマスターに右手を重ねた。