第1章 1
夜の北海道は、真夏でも涼しい。
Tシャツとハーフパンツだけでは、むしろ肌寒ささえ感じた。冷たくまとわりつく潮風のせいかもしれない。
有羽は腕をさすりながら砂浜を歩いた。
もう22時を回っている。海は暗く黒くて何も見えないが、ザザと打ち寄せる波音は、ここが波打ち際であると教えてくれる。
有羽は沖を見つめた。明るい光の玉が海の向こうで、左右にいっぱい広がっている。
町の明かりだろうか?
いや違う。
あれは漁火(いさりび)だと有羽は知っていた。
漁火…夜間の漁業にともなう灯りのことだが、ここではイカ漁のことを指している。船上で煌々と灯りを焚き、その灯りに寄ってきたイカを収獲するのだ。
ここはイカ漁の盛んな町だった。
初夏から冬にかけて行われ、町を潤すイカ漁。真夏の今が最盛期だ。有羽は幼い頃から見慣れた灯りを横目に、砂浜を歩き続けた。
民家からも漁港からも外れたその海岸は実に真っ暗で、目の前すらも見えない。人が好んで歩く場所ではないだろう。まして妙齢の女子が1人で歩いていい雰囲気では決してなかった。
けれど有羽は慣れた足取りで、まっすぐにまっすぐに歩いていた。
行く手には大きな崖があり、崖の根本には、ぽかりとほら穴が空いていた。
有羽は迷うことなく、その怪しげかつ恐ろしげなあなぐらに足を進める。大の大人でも震えそうな暗さと得体の知れなさだった。波の音は反響して四方八方からボワボワと鳴り響き、冷たく湿った空気はもはや夏のそれではない。この寒さには有羽もこたえたようで、「うう、さむ」とひとりごちた。
と、有羽の声を合図にしたように、奥から何か物音がした。
どるりとした音だった。
柔らかいものが岩に当たる音、そしてぬめりのある水音。「それ」は徐々に有羽に近づいてきた。
一寸先も見えない闇の中、「それ」の姿がぼんやりと浮かび上がってくる。「それ」はたいそう大きいようだ。徐々に徐々に迫ってくる。
そうして有羽の目の前まで来たとき、パタリと動きを止めた。
有羽は手を伸ばし、「それ」に触れた。ヒヤリと冷たく、とろりとぬめる赤いもの。
「それ」は数mはあろうかという巨大なイカだった。