第3章 3
有羽とイカの出会いはもう何年も何年も前のことだ。
いつからこういう関係になったのかは記憶にない。このイカがどこから来たのか、なぜこんなに大きいのか、どうして人語を話せるのか、有羽は何も知らなかった。
有羽に分かるのは、イカはいつも優しいと言うことだ。
親友が転校した時、部活の地方大会決勝で負けた時、スキーで転んで骨折した時、母親と大喧嘩をした時、有羽はいつもこの洞穴に来て、膝を抱えて泣いた。そうしていればイカがやって来て、有羽を慰めてくれるのを知っていたからだ。
イカはどんな時も有羽の味方だった。よしよしと大きな触腕で有羽の頭を撫でて、
「俺には人間の生活のことはよく分からないが」
「有羽はいい子だ」
「俺は有羽が好きだよ」
と言い聞かせ続けたのだ。
有羽にとって、イカの出自などどうでもよかった。それよりも、自分のことを思い切り話せること、それをずっと聞いてくれること、そして自分の味方でいてくれることの方が、ずっと大事だった。
「どうして私のことが好きなの?」と有羽は何度か尋ねたことがある。その度にイカは決まってこう言うのだ。
「分からない」
おだやかに、凪いだ海のように深みのある声音だった。
「どうしてかは分からない。ただお前がこの崖に来てくれると、俺もここに来ずにはいられない。お前は俺の漁火なんだろう」
漁火。イカをおびき寄せるための灯り。愛の言葉にしては色気がない。
しかしその言葉は、有羽を不思議と満足させた。