第6章 悩み悩まし(家康)
長閑な午後。
家康が書庫で漢方の研究書を読んでいる夜長との声がした。
「家康、いる?」
「いる」
短く返事をすると襖が開い夜長が入ってきた。
見上げて出迎える家康に夜長が目を留める。
襖が開く瞬間に少しだけ風が通り、ふわりと夜長の甘い香りがして、艶やかな髪が揺れるのや着物の袖が羽衣の様に軽やかに動くのに見惚れてしまう。
一瞬の些細な事なのに、少しも見飽きない。
しかし夜長はそんな家康の内心に少しも気付かない様子でやや困った顔をし、足早に自分の傍へ来て正座した。
傍に来てくれるのは嬉しいけれど、表情が気になる。
困っている事があるなら何でも話してほしいが、夜長の様子からは若干の苛立ちも見えるのがやや不安だ。
「どうしたの?」
ひとまず筆を置いて夜長の方へ身体を向けようとすると、夜長は家康の手を強く握りしめてくる。
「あのね、頼みごとがあるの」
何やら深刻な様子だが、すがるような目で見つめられると思わず胸がざわついてしまう。
普段ならそっと優しく握ってくる細っこくてやわらかい指が、渾身の力で握られるのも新鮮で心地いい。
しかし「頼み事」というのが気になり、平常心を心掛けて「なに?」と尋ねる。
夜長は一度勢いのままに口を開いたが、はっとした表情になって「えっと……」と口ごもる。
「わざわざここまで来て、今更なにを躊躇してんの?なんでも言いなよ」
握られた指を握り返し、顔を近付ける。
「あ……あのね、家康は薬に詳しいでしょ?」
「専門家程ではないけど、この通りいくらか詳しい方。それがどうしたの?」
言いながら、もしや夜長の体調に何か障りがあるのかもしれないと思い当たる。
「あの……」
「もしかしてどこか悪いの?怪我でもした?」
呑気に「天女みたいに綺麗だな」などと思っている場合でも、「可愛い顔で探しに来るなんて嬉しいな」などと思っている場合ではない。
思わず動揺が表情に出てしまい、語調も強くなる。