第35章 別つまで(NとS)
side.N
「理想じゃなくたって、イイですよねぇ」
ふと、口から零れ出た。
理想や好みを聞かれるのに辟易してたのかもしれない。
例えば、大金持ちと結婚したいって願ったとして。
実際には、生活に困らず、少しのゆとりがあれば満足しちゃったりするだろうし。
リップサービスが嫌いなんじゃないけど、何て言うんだろ。
自分の言葉の重みを意識せざるを得ない。
当然のことだけれど、何か、ちょっと色々思うとこはある。
「ねーえ?聞いてんの?」
絶えず聞こえてくるキーボードを叩く音。
決してうるさくないのに、今の俺にはイヤなものだった。
そう、こういうこと思うのもイヤだ。
邪魔したくないし、そういう自分を許せない。だって、そうじゃない。
同じ仕事してんのにさ、その辺りを弁えてないって思われたくないし。
「聞いてるって。人それぞれだろうけど、オレもこだわってないね」
「へぇ、意外」
俺の中の翔さんは、現実主義者だ。
でも、それと同様に理想を語るのが似合う。
言ったことは無いけど、そんな風に思っていたから余計に意外だ。
「あぁ、後さ。理想どうこう抜きで、お前と別れる気は毛頭無いからな」
「ワタシもですよ?あんたのこと、殺させないでね」
「物騒だなぁ。ま、マジでそこらへんは安心してろよ」
軽い響きの言葉とは裏腹、瞳はどこまでもまっすぐだった。
それこそ、視線だけで俺を殺せそうなくらいに。
そういうとこ、ズルいよねぇ。
アナタの一番じゃないかって思い上がってしまう。
「偶には、俺からキスでもしましょうかね」
とびっきり情熱的にね、と言ってウインクをする。
何でもないように。何も無かったように。
翔さんの首に腕を回しながら、目を閉じて微かに笑った。
面倒な思考を止められないまま、俺らは唇を重ねて貪る。
理想を追うのは疲れるし、体に正直でいる方がマシだ。
思い描いて追うよりも、確実に手に入るモノの方が良い。
そうやって思ってた方が、俺は幸せだった。