第65章 ペトリコール
side.N
俺が着いた途端、降り出した。
これは運が好いのか悪いのか、判断に困る。
降り始めてから、もう5分だ。そんな冗談に笑う余裕は無い。
久々のデートなのに、生憎の雨模様なんだもの。
待合わせの場所では濡れるから、一番近いカフェに入ることにした。
注文したコーヒーを手に、彼が来たとき見えるようにと窓際を選ぶ。
席に座り、そこでそっと溜息を吐く。ついてないなぁ、ホント。
しかもテイクアウトとか、どんだけ早く来てほしいって思ってるんでしょうね。
外へと目を遣れば、街が色取り取りの傘に彩られている。
花のよう、なんて陳腐な比喩が脳裡を過る。
カラフルな雨傘やレインコート。
それらは恐らく、大抵は女性が使うことが多いんだろう。
自分の趣味ではないけれど、何となく。そこはかとなく。
羨ましいような、憧れるような、そんな気分になる。
「早く来てくださいよ………じゅんくん」
周囲に聞こえないうよう独り言ちたのは、八つ当たりだった。
あのひとは別に遅れてなんかない。俺が、早すぎるだけ。
ほんの少し、ちょっとだけ、浮かれてたのかもしれない。
あーあ、と我知らず声が出る。何て、馬鹿みたいだって。
まだ時間があるんだから、目を瞑っていましょうか。
そう思いテーブルに伏せようと、椅子を僅かに後ろに引く。
そのときだ。すぐ近くから、ノックみたいな音が聞こえた。
「あ……」
窓の向こう、ビニール傘と爽やかな笑顔があった。
家にあるのにコンビニで買っちゃった、とか言うんだろうなぁ。
想像すると面白くて仕方が無い。そういうとこ、可愛いんですよね。
そうだ。折角のこの天気、そして見た所、傘は一本。
相合傘を提案したら、どんな反応をするのかな?
受け入れるのか、照れるのか。なんて、ねぇ。
些細なことで、俺はアナタに救われてる。
上手く、伝えられないけど。
カップを片手に、店を出る。
そしてふと、柄にもないことを思い付く。
”楽しみでしょうがなくて、早く来すぎちゃった”
一言めは、これにしようかって。