第30章 キューピッドは語る Side:I <豊臣秀吉>
「ちょっと家康、聞いてるの!?」
「…聞いてる」
唐突に上がった声量に、どこかへ飛んでいってた意識が引き戻された。俺のことを疑い深い目で睨んでくるさとみにそう返事をすれば、ならばよし、と満足気。
既に初秋に入ったっていうのに、今日はどこかにしがみついていた残暑が、しぶとく威力を発揮したみたいに暑い。
俺は暑いのが、嫌いだ。
「それでね、この間も大きな荷物を私から取り上げて持ってくれたの。なんで秀吉さんってあんなにかっこいいんだろう…」
「ヨカッタネー」
俺は手元の書簡を読みながら、相槌を打つ。適当な言葉にも、さとみは自分の話に夢中で気が付いていない。
「秀吉さんと恋仲になれる人は、幸せだろうなあ…」
ぽーっとした顔で、さとみが呟いた。その言葉に俺は顔を上げて、あからさまにため息をついて見せる。
「あんた、それ俺の所に来る度に言うよね。そんなに恋仲になりたいなら、本人にそう伝えて来たら?」
「そ、そんなこと出来る訳ないじゃんっ」
「どうして」
「だって…断られちゃったら、その後どうしたらいいか分からないし…」
そう言いながら、さとみの顔は自信なさげに曇っていく。この辺りのやり取りは、もう何度も俺とさとみの間で繰り返されてきた。
無言の俺に耐えられなくなったのか、さとみはがばりと立ち上がる。
「とりあえず、今日は帰るね。また来ます!」
「もう来ないでいいから」
「じゃあね!」
俺の言葉、もう少し聞いてくれてもいいんじゃないの。さとみが大きな音を立てて俺の部屋から出ていくと、やっと静寂が戻って来た。
どっと疲労が襲ってきて、俺は全身から空気を吐き出す。扇子を広げて扇ぐけれど、生ぬるい風が顔に当たって涼しくもなんともない。
「あつ…」
この不快な暑さの中、俺は帰って行ったばかりのさとみを思ってまたため息を吐いた。最近、あの子のせいで仕事が進まなくて、本当に迷惑してるんだ。