第3章 斎藤一の煽動
「苦しいか?
口がきけぬ訳では無いのだろう?
さっさと吐いた方が………」
「………………じゃ…ない。」
締められた喉から絞り出すように突然女の声が聞こえた。
「何だ?」
やっと話す気になったかと俺が女の首から手を離すと、女は悲し気な目をして呟いた。
「………あなたじゃ…ない。」
この女は何を言っているのか。
「俺じゃない…とはどういう意味だ?」
真意が分からず俺は再び女の首に手を掛け顔を近付けてから問うと、女は唐突に口付けて来ていきなり俺の唇に歯を立てる。
「…………っつ!」
その刺すような痛みに俺は女を突き飛ばした。
「何をっ……」
背後の柱に背中を預けた女は、俺の血に濡れた自分の唇をぺろりと舐めて微かに笑っている。
俺の背筋がぞわぞわと粟立ち、本能的に此処に居てはいけないと感じた。
副長が音を上げたのは『これ』か……?
俺まで副長の二の舞になる訳にはいかない。
今は先ず退いて、後に出直した方が得策だ。
俺は慌てて女の拘束を元に戻し立ち上がると、動揺を覚られないよう冷静を装い告げる。
「いつまでもそうしていた所で事態は然して善いようには転ばぬ。
自身の最悪を想定しておけ。
……………また来る。」
そのまま土蔵を出た俺は膳を引き上げて来るのを忘れた事に気付き、自分が想像以上に慌てていたのだと改めて気付かされた。
もう一度土蔵に入る気にはどうしてもなれず、兎に角落ち着かねばと自分の部屋へ戻る途中で総司に出会してしまった。
「一君……どうしたの、それ。」
「……何の話だ。」
何故か正面から総司に向き合う事が出来ず視線だけを総司に向けると、総司は無言で自分の下唇を指先でとんとんと叩く。
女に着けられた傷の事を言っているのだと分かり
「大した事では無い。」
と、俺は急いでその場から離れた。
歩きながら自分の背中に総司の不審がる視線が突き刺さっているのを強く感じ、途轍も無く居心地が悪かった。