第8章 幸せ
これは、とても幸せな夫婦のお話。
夫は朝起きて、隣にいる妻を見ると幸せを感じます。
朝起きて、妻の入れるコーヒーの香りがすると幸せを感じます。
朝起きて、妻が朝ごはんを作る音を聞くと幸せを感じます。
朝起きて、妻が「おはよう」と言って優しくキスをしてくれる度に幸せを感じます。
この夫婦の夫は、とても幸せな夫です。
妻もまた、幸せでした。
家に帰って、先に帰っていた夫が出迎えてくれると幸せを感じます。
家に帰って、つまらない愚痴を黙って聞いてくれる夫に幸せを感じます。
家に帰って、「疲れてるだろう?」と言って、自分も仕事帰りなのに食事を作ってくれる夫に幸せを感じます。
家に帰って、寝るときに優しく手を握ってくれる夫に幸せを感じます。
この夫婦の妻は、とても幸せな妻です。
ですが、その幸せは壊れてしまいました。
朝起きて、隣を見ても妻はいません。
朝起きて、どんなに香りを嗅いでもコーヒーの香りはしません。
朝起きて、どんなに耳を澄ましても朝ごはんを作る音は聞こえません。
聞こえるのは、自分が絶望に落ちていく音と、かすかに聞こえる自分の泣き声です。
どんなに日々が重なっても、妻がいないことが受け入れられない夫は、妻のもとに自分が行くことにしましたとさ。
これはね、僕のお話だよ。
ばいばい。もう行かなきゃ。
君も、お幸せに…。