第30章 人形
「千月殺害後、想定外の事態が起こった。久摘葉の力の覚醒。
他者を愛おしみ、慈しむ力。それは己以外のものを癒す能力。」
八瀬姫は今も尚、淡々と話を進めている。久摘葉にとっては何もかもが予想外の事ばかり。血の気が無くなるような真実の数々に青ざめている。
「知っていたか?私がその力を恐れていた事を。
当時は力の反動は起こらなかったのだ。何の負荷もなく、他者を延命する事が出来るその力は、私の夢見の力など非力に思える程に実用的で、同胞達を希望で満たす。」
八瀬姫は自分の目を右手で覆い隠してそう言った。
決して夢見の力が非力と認めたわけではないし、それは本人もわかっているはずだ。
ただ、目の前の弱さを隠そうとしない久摘葉に劣る事に対し、怯えているようにも見えた。
「その力は、私と表立って対立した時大きく優位を得られるのだろう。しかし、それはならない。決して。」
右手を下ろして再び露わになった八瀬姫の瞳は妖気が宿っているかのように怪しく揺らいでいた。
何も隠しはしないという誓いのようでもあった。
「お前に少なからず恐れを抱いた私は、完成された変若水をごく少量久摘葉に投与した。
不死には程遠く、しかし負荷が現れるには充分な量を、な。
お前は、自分の本来の鬼の姿を覚えているか?」
「私の…。鬼の姿…?」
「そう。右に月を、左に鮮血を宿しているような、鮮やかな色が2つ。左の紅は、決して西洋鬼のものなどではない。」
「羅刹の…赤…。」
久摘葉は八瀬姫が言わんとしている事に気付いてしまい、思わず全身が震えていた。
地面に吸い付くように座り込むと静かに、右目から一粒だけ涙が伝う。
「信じたくない…。信じ、られない。私がここにいる意味って、一体何?」
八瀬姫はあくまで表情を変える事なく、まっすぐ久摘葉を見つめていた。
「お前は、鬼の復興の為、先代の尻拭いをさせる為だけに"造られた"存在。喜びも悲しみも全て持たずとも良い。私の言うままに生きれば、それだけで価値ある存在。」