第3章 予兆と微票。
相手の要求に従うことにして、一度だけ頷く。
刃物でブスリは嫌だ。
「よし、いい子だ」
壁に押し付けられていた力が緩んだ。
「しかし…この状況でよく眠れるものだ」
全くもってごもっともである。
図星を突かれて、ぐぬと声を漏らしてしまった。
それにしても、この男もまた"私"を知る人物なのだろうか。
足癖も悪いのかと言っていたし、ナイフを携帯していることも知っているようだ。
灯りのない薄暗い部屋で、男の様子を観察してみても多くの情報は得られそうにない。
男がタバコに火を点けた。
灯りに照らされた顔が、ほのかに浮かび上がった。
廊下ですれ違ったあの男だけれど、妙なことに気が付いた。
上背や体格、それに帽子と髪型、さらには顔のパーツまでも瓜二つだけれど、印象的だった顔を覆っていた火傷の跡がない。
顎に親指、唇に人指指をあて…られない、残念なことに後ろ手に括られている。
男が紫煙を吐き出して、携帯灰皿でタバコを消した。
「そろそろか…静かに」
『う?』
「静かに」
念を押されて、こくりと頷いた。
客室として使われていない車両に、2人分の足音が聞こえてきた。
微かな話し声の片方は、良く知る声だった。
次第に声が鮮明になって、内容も聞き取れるようになった。
この客室の、すぐ側にいるようだ。
「――、――――けて中へ」
「ご心配なく、僕は君を生きたまま組織に連れ戻すつもりですから」
間違いなく、降谷の声だった。
しかし話の内容はあまりにも物騒で、本当にこれが彼なのかと疑いたくもなる。
「この爆弾で連結部分を破壊して、その貨物車だけ切り離し、僕の仲間が君を回収するという段取りです」
爆弾と言う言葉に思わず身体が揺れると、男に"大丈夫だ"と耳元で伝えられた。
信じがたいことに、彼が爆弾を仕掛けたような話しぶりに、身体は戦慄いた。
「その間、君には少々気絶してもらいますがね」
コナンと沖矢が、安室を警戒していたことが脳裏に浮かぶ。
この会話を聞く限り、どうやら彼は正義の味方ではなかったのかもしれない。
何ひとつ理解が及ばないまま、降谷の淡々とした声だけが勝手に耳に届いてくる。
「まぁ、大丈夫。扉から離れた位置で寝てもらいますので爆発に巻き込まれる心配は」
「大丈夫じゃないみたいよ?」
もう1人の声、降谷に追い詰められているのは女性だった。