第3章 予兆と微票。
『なんなの、もうっ!!!』
涙目のまま沖矢を睨みつけた。
額はじんじんと痛むし、唇には生々しい感触が残っている。
それに、知らないはずの彼の香りを覚えている感覚に身体がざわざわとする。
『どいて!!』
いまだに膝をついたままの沖矢を突き飛ばした。
「待て」と沖矢らしからぬ声をかけられたけれど、振り返ることもせずに部屋を出た。
降谷には部屋からは出るなと言われたけれど、このまま留まれるわけもなかった。
行く宛もなく、列車の進行方向に逆らって進んだ。
あっという間に最後尾まで着いてしまったらしい。
灯りが消えているから、客室としては利用されていない車両のようだ。
最奥の扉を開けてみると備品などが置かれている貨物車のようで、乗組員が備品を取りにくる可能性があるから身を潜めるには向いていない。
対面にある扉をあけてみると、の客室と似たような部屋だった。
窓は遮光されているようで薄暗く、目眩ましにはちょうど良さそうだ。
先客もいないここならと、長椅子に腰を掛けた。
おまけの福引券でチケットを手に入れて、ツイていたはずなのに、何故こんなことになってしまったのか。
降谷の残した不可解な言葉と、沖矢の香りが頭の中をぐるぐると悩ませる。
心身はすっかりと疲弊していた。
起きているのも億劫で、長椅子にそっと身体を伏せた。
息苦しさに目覚めると、異常事態が起きていた。
口は猿ぐつわを噛まされていて、後ろ手に親指を括られている。
あの状況で眠りこけてしまった自分の図太さに呆れてしまう。
状況を把握しようと辺りを見渡すと、長椅子に伏せたままの自分の隣に座る男のシルエットが浮かんだ。
体たらくにも程がある。
括られた腕のせいで上手く動けないけれど、反動をつけて起き上がる。
頭を狙い、足を振り上げた。
「!」
しかし難なく躱されてしまい、更には壁に押さえつけられてしまった。
背中を取られている上に、近距離にも関わらず暗がりで顔は見えない。
『っっんぐぐ!!!』
「足癖も悪いのか…」
『んうっ…んっ!?(足癖…も!?)』
「静かにすれば危害は加えない。邪魔をすれば身の安全の保証はない」
すっかりお守りのように持ち歩くようになった、使用頻度の全くない左腿のナイフが抜かれている事に気づいた。
男の手に握られて、鈍色が仄かに浮かんだ。