第5章 桜 色 の 泪[煉獄杏寿郎]
「杏寿郎様、ご無事で良かったです。疲れていませんか? お腹も減っているでしょう?」
雨音に、負けてしまいそうなはなの声を俺が聞き逃すわけもなく、そっと引き寄せた。
はなは俺を責めるようなことは一言も言わない。淋しかったとも。それが俺の胸を痛ませる。
「腹が減るより疲れるより、何より君が恋しかった。君のことばかり考えていた。泣いていないか心配でな。毎日、桜を見に来ていたのか?」
「泣いてなんかいません! でも、毎日見に来て来ました。杏寿郎様が桜に間に合わなかったら、私が目に焼き付けた桜を杏寿郎様に教えて差し上げようと思って」
「そうか! それで目に焼き付いたのか?」
「それはもう!」
「それにしてもやはり立派な桜の木だ。晴れている日は壮観であろうな」
「一足先に見てしまいましたけど、何度見ても飽きないです」
「一年に一度きりの景色だからな。俺も良く目に焼き付けておこう。そう言えば、弁当を用意してくれていたのではないか?無駄になってしまわなかったか?」
「えっと…お弁当は大丈夫です!」
大丈夫と言ったが、はなのことだ。しっかり準備をして俺を待っていたはずだ。そんな君に詫びるには俺には何ができるだろうか。
***
屋敷に着き戸を前にすると、手を掛ける前に戸が開いた。
「やっと帰ったか」
着物を着て髪を整えた父上と目が合った。
「ただいま戻りました。お出かけですか?」
「あぁ、千寿郎が傘を忘れていったからな。届けに行ってくる。夜は二人で食事を済ませてくるから、気を遣うな。風呂の湯を入れておいた。はなを先に入らせてやれ。ハナ、風邪をひくまえに温まりなさい。良いな?」
まるで濡れて帰ってくることをわかっていたかのように準備が整えてあり、『行ってくる』と言い残して出ていった父上の背中を感謝を込めて見送った。
玄関には揃えて置いてある二足のよそ行きの草履がある。
「草履を用意して楽しみしていてくれたのだな?…すまないことをした」
毎日揃え直し、塵を払い、いつでも履けるようにと準備をしていた姿が目に浮かぶ。
「無事に帰ってきてくれたのですから、それで良いのです。それにまだ桜も咲いています」
「君はいつだって俺に甘いな。たまには小言の一つも言って良いのだぞ? 我慢していないか?」