第5章 桜 色 の 泪[煉獄杏寿郎]
人気のないこの場所で悠々と咲き誇る桜は、二人で散歩をした時に見つけたものだった。あの頃はまだ葉も蕾もつけておらず、寒さに耐えているような様子だった大木が、今は静かに満開の花を咲かせている。
その下で、俺の愛おしいはなは傘をさして桜を見上げていた。ゆっくりと歩を進め近づいて、驚かせてしまわないよう声を抑えて名を呼んだ。
「はな」
はながゆっくり振り返り、傘を上へ持ち上げた。傘から覗いた瞳は俺の姿を捉えると、大きく見開かれた。
「随分と待たせてしまったな。すまなかった」
俺の言葉を最後まで聞き終える前に、はなは傘を放り出し駆け出した。受け止めるために両手を広げると、水溜りに足をつけて俺の懐に飛び込んできた。
「裾が濡れてしまったな」
「杏寿郎様! おかえりなさい!」
衝撃と共にはなの体をしっかりと抱き留めた。その体は花冷えに雨が重なり冷え切っていた。
「ただいま…はな。遅くなってしまってすまない。逢いたかった!」
腕に目一杯の力をこめて抱きしめると、はなは声を発することなく何度も頷いた。
「帰ろう? こんなにも濡れてしまった」
濡れたはなを羽織くるむようにして雨から守り、冷え切った体を俺の体温で温めようと更に抱きしめた。
「明日晴れたら、お花見できますか?」
顔を上げたはなは、俺の返事を恐る恐るという言葉が似合う表情で待っている。そんな君が愛おしくて再びきつく抱きしめた。
「花見に行こう! 今日は屋敷に戻って湯浴みだ。体が冷えてしまっている」
手を握り傘を取り、はなが濡れないよう手を引いて歩いた。
足場の悪い道は抱きかかえて通る。ほんの数日でいくらか軽くなったような気がした。
「杏寿郎様が濡れてしまいます。半分こしましょう」
平坦な道になると、そう言って傘を持つ俺の手にはなの手を重ねて俺の方へ傾けようとする。
俺は隊服が身を守ってくれている。しかしはなの着物は湿気を含み肌を冷たく覆っているのだ。
「君が濡れてしまう!」
「杏寿郎様だって風邪ひいてしまったら、明日お出かけできません」
「そうか…なら半分こだな」
手が傘から離れると再びそっとはなの方へ傘を傾けた。