第3章 【前日譚】男だったら
「私も悠ちゃんと野球したいよ。悠ちゃんが球を打つとね、どこまでも飛んでいく気がするんだ」
神楽を見上げる、最近は身長も伸びて、俺は全然伸びないのに神楽はどんどん大人になった。
「でもいいんだ、私はマウンドに上らなくても」
素振りのジェスチャーをした後に神楽は遠くを見る、俺じゃない、俺の頭上を超えて、どこまでも遠くを見て。
「私ね、野球が好きだよ」
視線を合わせて神楽は言う、いつか見た力強いあの瞳だ。
「知ってるよ」
神楽は野球が好きだ、そんなこと知ってる。
また打ちたい、どこまでも飛んでいく球を、飛行機より高く飛んで、宇宙の果てまで届くあのボールを。
でも、もうそれは叶わないんだ。
「見るのが好きって野球ができないから言ってるんじゃないんだよ、私は野球そのものが好きだから、それがグラウンドでもベンチでもテレビ越しだっていいの」
どうにも立ち行かなくて、ここが袋小路なことに気付いた。
きっと俺がなにを言っても、神楽がマウンドに立って俺がバッターボックスで構えることは二度とないんだと、今たしかに理解して、どうしようもない寂しさと喪失感が心を満たして。
息が、しづらい。
心臓のあたりがキューってなって、今すぐにでも駆け寄って手を握ってあげたくなって、もっと近づきたくなるような、そこまで考えてはたと気付く。
ああ、そうか、俺はずっと寂しかったんだ。
一緒に野球ができなくなって、俺は納得できないのにコイツだけは納得して、背だってどんどん伸びて、俺だけ置いてどこかに行こうとしてるように感じたんだ。
神楽が置いていくはずないのに、今だってこっちをちゃんと見て、俺と目を合わせて待っているのに。
「お前と一緒に野球できないの、やっぱ寂しいよ」
神楽が口を開けて何かを言おうとする、でも、と言葉を被せて遮れば、彼女は不安そうな顔でこちらを見た。
「いいんだ、俺も、もうちゃんとわかったから」