第3章 【前日譚】男だったら
思わずキャッチボールの手を止める、悠ちゃん、と短く名前を呼ばれて、それでも俺はボールを手放さなかった。
「…女だから、やっぱ色々と断られちゃって」
こんなことを言わせたかったわけじゃない、そんな辛い顔をさせたかったわけじゃない、俺にもわかるように言って欲しいだけなんだ。
俺はついぞ泣いてしまいそうになった。野球が好きで野球がしたいのに、どうして神楽は女なんだ?
「でもね悠ちゃん、私野球見るのも好きだよ」
腹が立って、どうしようもない苦しさが心臓から飛び出て全身を駆け巡る。
指先に感情を全部乗せて、思いっきり球を放った、この苛立ちが少しでも治るようにと祈りながら。
「わっ」
少し危うく受け取って、不思議そうにこちらを見る。俺の投げる球についてこれないんだ、男に混じって野球なんかできっこない。
「やーめた」
指先に乗せた感情は熱量も奪っていった、俺は神楽に背を向けると手早くグローブを取る、このやるせない気持ちはなんだろうか。
もう神楽は野球をしないって自分と折り合いをつけたのに、俺だけが置いて行かれるような気持ちになる。
神楽は大人だ、俺は大人じゃないからわからない、きっと聞いてもいつものように困った顔をするだけで何も教えてはくれないんだろう。
言ってくれなきゃわからないのに。
「あーあ、神楽が男だったらなあ」
ぼやくように言った言葉は、青空に吸い込まれて消えていった。