第56章 大正“浪漫”ー捌ー
花子ちゃんが近寄ると、その人は花子ちゃんの頭を優しく撫でた。
そして花子ちゃんは寝ぼけ眼で私に近づいてきた。
「抱っこぉ」
ぐっと私の服の裾を引っ張ってそう言ってきた。
私はあまりにも突然のことにキョトンとして、しばらく変に冷や汗をかいて固まっていた。
その瞳は純粋そのもので、綺麗で、私とは真反対の存在に思われた。
何も考えていないのだろう何も考えずにそう言っているのだろう。ただ、抱き上げて、抱きしめてほしいだけの幼子の欲望を口にしただけ。
目の前の私がどれほどの悪行をしでかした人間なのかを。目の前の私が救いようのない愚者ということを。
それでも幼子は。
何も知らない幼子は。
私に抱っこをねだる。
「抱いてやってください。」
その人が優しい笑顔でいう。
「きっと喜びますから。」
そう言われて、恐る恐る手を伸ばして、花子ちゃんの体に手を回して抱いた。
どうしたらいいのかわからなくて、とりあえず目一杯手を伸ばして高く抱き上げた。
「あはッ」
にこりと花子ちゃんが笑う。
「あはは、あはははは!!たかいたか~い!!」
花子ちゃんは無邪気に笑う。
私の手の中で、声をあげて。
暖かい。
暖かかった。
命の暖かさだった。
生きている人間なら、皆持っている暖かさ。
暖かい。
「……………。」
愛しい。
「……………ッ!」
気づけば、私は花子ちゃんをぎゅっと抱きしめていた。
「暖かいです」
私が言うと、その人はにこりと微笑んで頷いた。それと反対に私は驚くほど無表情だった。
どんな表情をするにも、私はただその暖かさにしがみつくことで精一杯だったのだ。
「……暖かいです…」
私は花子ちゃんを抱きしめたまま言った。
しばらくそのままだった。