第6章 ~恋と恋の、あいだ~(松川 一静)
『結婚するまでは仕事してたから、
あたし、
その会社の一員の"森島さん"でね、』
そりゃ、そうだろ?
『…結婚して、名字変わって嬉しくて、
そんで、
◎◎さんの奥さん、って呼ばれるのも
☆☆ちゃんのママ、って呼ばれるのも
すごく、嬉しかったの。
それが私の居場所なんだ、って。』
カチャカチャと止まることなく、
手元からは食器を洗う音。
俺は横で手伝いながら、
黙って話の続きを聴く。
『…離婚して
一人でこっち戻ってきたけど、
とりあえず無職で、親ももういないし。
そんで、自分でびっくりしたの。
私、何者?って。
誰かの奥さんでもママでも、
どこかの会社に所属してるわけでもない。
他人からみた私は、
まさに"ただのおばさん"。
…それを認めるのがイヤでイヤで。』
黙って聴く俺。
話し続ける綾ちゃん。
『…こっち戻って、
最初に訪ねたのが静だった。
静もいろんなこと経験してるから、
私のことも黙って受け入れてくれて、
そして久々にいっちゃんに会ったら、
こんなに大きくなってて、だけど、
私のこと、綾ちゃん、って呼んで
すぐに生活に受け入れてくれて。
救われたのよ、静といっちゃんに。
ここにいれば"おばさん"じゃなくて
"綾"でいられたから。』
『…じゃ、いいじゃん。
わざわざ"おばさん"なんて呼ばなくても。』
『だけど、さっき、思ったの。
やっぱり私は端から見たら立派に
おばさん、なのよ。悪気とかじゃなくて、
いっちゃんだって、友達のお母さんのこと、
そうやって呼ぶでしょ?』
…そういえば、そうだ。
"花巻んちのおばちゃん"とか、
別に、悪気なく呼ぶ。
『それが普通なのよね。
私、現実から逃げたかったんだな、って
さっき、ハッとした。
だから、いっちゃんの彼女に感謝してる。』
…そんな。
『おばさんって呼ばれたくないなら、
それ以外の"私の居場所"を、
ちゃんと作らないと、って。
…家族は、きっともう作らないから、
私こそ、就職しなくちゃ。
選択肢がいっぱいある
いっちゃんに比べたら、
私の方がよっぽど就職難よ(笑)』
笑ってる。
笑ってるけど。
さっき、俺と彼女に背中を見せてから
俺がここに帰ってくるまで、
どんなに心を絞り上げたのか。
どんだけ心を痛めつけたのか。
…一人で。