第32章 〜32〜
少しして、目の前に艶やかな着物がふわっと現れた。
顔を上げると、姫と呼ばれた女がそこにいた。
「こやつが私の娘でございます」
大名がそういうと、姫は座って頭を下げた。
「ほぉ……」
その姫と呼ばれた女は、何を考えているのかはたまた何も考えていないのか、無表情でただ座っていた。
(美しい顔をしているのに、目が死んでるな……勿体ない)
「お前に似てないな」
「ええ、こやつは養子でして」
「養子……」
「ええ、親に先立たれたのを、私が面倒見ることにしまして」
この時、少しだけ目の前の女の肩が揺らいだように見えた。
だが、変わらず無表情でその瞳には誰も映していないようだった。
「そうか……」
「ええ、気に入って頂けましたでしょうか」
大名は下心丸出しの笑顔で俺に詰め寄る。
「そうだな。信長様にも良く伝えておこう」
「ありがとうございます……」
(可哀想に、拾われた奴がこんなんじゃ……まあ、それもこいつの運命か)
そのあと、少しだけ酒を飲み、まとわりつく大名を軽くあしらい、早々に家を出た。
(ったく、終始胸糞悪い奴だったな)
数名の家臣と馬を走らせ、安土城へと戻る。
(あの姫……最後まで少しも笑わなかったな……)
あの大名が織田家を裏切ろうが、敵部将に着く前に大名を倒して領地を織田家の物にしてしまえばいい。
光秀があいつの裏を調べている。
聞けば、必要以上に米や作物を農民から取り上げているらしく、あの領地の民は苦しい生活を強いられているらしい。
それを聞いた信長様は心底嫌そうな顔をしていた。
国は民だと、常日頃お考えの信長様だ。
あの大名が倒れるのも時間の問題だと思った。
1つ気がかりがあるとすれば……
(助けてやりたいのは山々だが、そうした事であの大名を織田家に結びつけることになるのなら……申し訳ないが……)
心の中で謝り馬を走らせ続けた。