第28章 それゆけ、謙信様!*遁走編*
「桜様…」
「後悔、しないんだね」
「…うん」
桜は静かに頷いた。答えなど、とうに出ている。謙信と離れて一人で生きていく選択肢は、もはや桜にはない。
「そう…分かった」
諦めにも似たため息をついて、家康は懐を探り、ぽんと桜に向けて何かを放った。慌てて受け取ったそれは、家康が桜によく渡してくれていた傷薬。
「餞別。たまたまそれだけ持ってたから、あげる。どうせあんたは、すぐ怪我するんだから」
「…ありがとう…」
「私も何か用意しておけば良かったです。昨日…」
「おい」
三成がしょんぼりと肩を落として呟く言葉を、途中で家康が肘で小突いて黙らせた。薬の小瓶を握りしめ、桜は不思議そうに首を傾げる。
「ごほん。家康さん、三成さん…ここは、通しませんよ!」
桜の前に立ち黙っていた佐助が、急に声を張り上げた。桜は状況についていけずに、ぽかんとするのみ。
「それ…やる意味あるの?」
呆れたように呟く家康の横で、三成がはっとしたように身構える。
「あ、そうだった。えーと…し、しまった!このままだと桜様が逃げてしまいますっ、なんで挟み撃ちにしなかったんでしょう!」
「……」
大げさな身振り手振りを交えた三成の言葉に、全員が黙る。けれど数瞬おいて、桜は三人の意図を悟った。
震える口元を両手で覆えば、家康が小さく頷き、三成は少しだけ寂しそうに笑って手を振る。
「桜様、またお会いしましょうね」
「薬、無くなったら連絡して」
「絶対また…会いに来るよ…」
これ以上留まってしまったら、安土を離れる意思が揺らいでしまう。体を反転した桜の背中に、佐助の声がかかる。
「幸村が、屋敷のそばで待っているから。そこへ向かって」
「ありがとう…!」
そう叫ぶのがやっとだった。