第26章 それゆけ、謙信様!*氷解編*
幸村はいつだって、自分がしたことから逃げるような人ではなかった。喧嘩の後でだって、同じように笑ってくれていた。
「…謝らねーからな」
「え?」
屋台の奥へ桜を通した幸村が、ぶすっとした顔で言った。行李に腰を下ろして聞き返せば、幸村は赤く染まった目元を一瞬伏せた後、しっかりと目を合わせて口を開く。
「お前にしたこと、俺は後悔してねえ。お前は…俺に想われて、困ってりゃいーんだよ」
どくどくと、心臓が高鳴りだす。幸村の顔が直視出来ずに、桜は火照る頬を俯かせながら、掠れた声で呟いた。
「それ…本気で言ってる?」
「俺をどっかの将と一緒にするな。本気じゃなきゃこんなこと、誰が言うか」
「そうだね、ごめん」
「おー」
憮然とした幸村の顔がおかしくて、自然と笑いがこぼれた。桜のそんな顔を見た幸村も、安心したように頬を緩める。
「忘れてくれ、なんて言わねえよ。正直言や、返事だって欲しい」
「…うん」
「だけど、お前と喧嘩出来ねーのも嫌だからな。今まで通り、お前は俺に突っかかってくりゃいいんじゃねえの」
「幸村…素直だね」
「バーカ」
二人で、真っ赤な顔のまま軽口を叩き合って、笑う。流れる空気がむず痒くて、嬉しい。
「すみません、これいくら?」
「まいどありっ」
屋台に新たな客が現れて、幸村は慌てて身を乗り出す。忙しそうなその姿に、桜も立ち上がった。
「また、来るね」
「おー…待ってる」
客の相手をしながらも桜を見送ってくれた幸村に手を振って。桜は軽くなった足取りで、天気の良い空の下を歩いていく。
秋も終わりに近づく今、市中を吹き抜ける風は冷たい。せっかく城を抜け出してきたと言うのに、すぐに戻るのももったいなくて、桜の足はいつか信玄と訪れた小高い丘へと向かっていた。
「少し寒い…」
ふもとからのんびりと丘を登っていくと、頂上付近に一本だけ生えている木の根元に、誰かが座り込んでいる。
「あれ…って」
近づくにつれ、まさか、が確信に変わる。また、会えるなんて。
「こんにちは」
「…お前か」
安土を離れているはずの謙信が、一人のんびりと座っていた。