第26章 それゆけ、謙信様!*氷解編*
「桜、開けるよ」
ちょうど同じ頃。部屋で大人しく過ごしていた桜の元へ、少し不機嫌そうな顔の家康がやって来た。部屋の中へ招き入れると、座る間も惜しいと言わんばかりに口を開く。
「今日、何か変わった事なかった?」
「変わった事って?」
「例えば…目つきの悪い敵将と追いかけっこ、とか」
「……」
何も言えずに固まる桜の顔をじっと見つめていた家康は、はあと大げさにため息をついて見せた。部屋の外に人の気配がないことを確認するように黙ってから、座り直して話を続ける。
「俺の御殿の女中が、たまたま見てたって報告してきた。そんなめちゃくちゃな話すぐには信じられないから、先にあんたに確認しに来たんだけど…その調子じゃ本当みたいだね」
「…信長様に、報告するの?」
黙っていた自分が悪いのは分かっているのだけれど。昨日上手く追及を逃れただけに、バレた時の反動が怖い。
「どうせあんた、秀吉さんに怒られるのが怖いんでしょ」
「う…はい」
「まあ、黙っててあげない事もないけど」
「ほんと!?」
家康様!と言わんばかりに目を輝かせる桜の態度にもう一度ため息をついて、家康はただし、と指を立てる。
「上杉がまだ安土に潜伏してる事は、報告しないわけにはいかない。俺が黙っておくのは、あんたと追いかけっこしてたことだけだ」
「うん、それでいい」
「たぶん、俺が報告を終えたら誰かまた通達に来ると思うけど…」
家康は腰を上げて、襖に手をかける。
「恐らく信長様は、上杉を追い出すために安土の警備を強化すると思う。上杉が消えるまで、あんたもしばらくは、城から出してもらえないと思ってて。…というか、出さないけど」
「えー」
「何。全部報告するよ?」
「すみませんでした」
桜の変わり身の早さに、家康は調子いい、と苦笑して。
「じゃ…大人しくしてなよ」
「うん」
座ったまま頷く桜の頭をぽん、と軽く撫でた手が、そのまま襖を静かに閉めた。
静かになった部屋で、桜は一人考える。家康の言う通りなら、もう謙信達と会うことはない。少しだけ、寂しさを感じた。