第26章 それゆけ、謙信様!*氷解編*
「佐助、お前わざと目立ったんだろ」
静かな庵に響く幸村の言葉がまさにその通りで、戻ってくる謙信のために酒宴の準備をしていた佐助の手が止まる。
「さすが幸村…目撃させて安土の警備が強化
されれば、謙信様も春日山に戻るって言いだすだろうと思ってたんだけど」
「戻る気ねーよな、あれ」
「ああ」
佐助は、謙信を春日山に戻したかった。それはもちろん、敵地に長く留まるなど危険極まりないという理由から。
しかし本音を言ってしまえば、これ以上桜と謙信を会わせたくない。謙信に対する印象が桜の中で変わっていくのを見ていると、何とも言えない嫌な感情が湧いてくるのだ。
そもそも、最初に二人が仲良くなればいいと思って引き合わせたのは、自分だけれど。今になってみれば、それさえも後悔している。
謙信が未だ安土に留まるつもりだと言うなら、桜が城に籠って出てこない事を願いつつ、他の手を考えるしかない。
「…そうだ、真っ暗になる前に菱の実を取りに行くんだった」
「まきびしまでばら撒いたのか?」
「いや、煙玉と一緒に桜さんに渡したんだ…お前や謙信様が迷惑をかけたら使ってって言ってある」
「なんちゅーモン渡してんだよ…」
菱の実を入れるための革袋を手に立ち上がった佐助は、無表情の中の瞳に熱を灯して、幸村を見た。
「幸村…これだけお前に言っておく。あんまり、桜さんを困らせるな。もし桜さんがお前のせいでまた悲しそうにしてる所を見たら…俺も黙ってない」
「…分かってる」
幸村が頷いたのを確認してから、佐助は外へと出て行った。幸村だけが残された庵は、痛いほどの静寂に支配される。
…言われるまでもねー。
好きな女の顔が悲しみに歪むことなど、誰が望むか。普段なら、目が合ったり手が触れたりしただけでも頬が火照る自分が。大胆すぎる行動を取った事に一番驚いているのは、他ならぬ幸村自身。
桜の苦しそうな顔と、ひどい、という声が何度も何度も繰り返し浮かんでは消える。
想いを伝えた事に後悔はない。けれど、桜が自分にその笑顔を向けてくれないかもしれないと思うと、息苦しくて。
「いてーな…」
いまだ苦しいこの胸の痛みは、いつ治まるのだろう。