第12章 唯-小鳥遊正嗣-
夜通し行われた行為を思えば…実のところ、記憶が戻っても、彼との時間は今もところどころ欠落しているのだが、いずれにしろ自分には、彼にあれこれ言う資格などないと思った。
だから……。
「小鳥遊さん……」
彼に礼を言いこそすれ、それ以上立ち入るようなことを言う権利など、自分にありはしない。
そのつもりで彼の名を紡いだ○○の声は、しかし、
「○○」
「……ぇっ」
○○の声を遮るように、彼が少女の名を口にする。
思わず二の句を噤んだ○○は、草履も履かずに庭に下りた彼に、驚く間もなく腕を取られ、懐に包まれていた。
「あ、あの……っ」
この展開は、何なのか。
○○は、彼との不意の接近による羞恥以上に、驚いていた。
確かに、彼はいつでも甘く、優しげな声で語りかけてくる。
だが、こんな風に触れられたことなんて……。
(あの夜、以外は……)
混乱する脳裏でぐるぐると巡らせれば、やはり思いはあの夜に行き着いてしまう。
そう考えれば、これはまだ、あの夜の延長なのだろうかと、○○は惑うように瞠目した。
「小鳥遊さん、私は…もう……っ」
もう、こんな風にしてもらわなくても、自分は一人で立っていられる。
客でもない自分が、これ以上、彼を煩わせるなんて……。
ただの知己でしかない、友人というには立場も身分も違う彼に、これ以上の迷惑はかけられない。
分かっていたはずなのに、自分は不用意にも彼に近づきすぎた。
その果ての…あの顛末……。
『あの夜』を思い出すほどに、○○は自身の感情を突き付けられる気がした。
○○にとって、もはや彼は『兄』のような存在などではない。
言葉にしたことはなくとも、おこがましくもそんな風に思っていた…かつて……。
でも、今は違う。
異なる心で想い、慕うようになってしまっていたからこそ、あの夜…壊れそうな心は無意識に彼の元に向かってしまったのだ。
だが…そんなことはもう、あってはならない。
気づいてしまったからこそ、尚更に……。