第1章 序章
月明かりに照らされた山道。
一人の若い旅人が息を切らせ足早にその道を行く。
昔から夜は鬼が彷徨くから外を出歩かない方がいいと言われていたのに。
旅の算段を見誤り、夕暮れまでに山を下れなかったの自分を今すぐ殴りたい気持ちだ、が…
早々にこの山を降りてしまわないといけない。
鬼の話は迷信だ、と旅人は自身に言い聞かせ地面を懸命に蹴る。
少し走った先にふたつの人影をぼんやりと見つけた。
一人は横たわっているようで、もうひとつの影が覆い被さるようにしていた。
怪我をした旅人だろうか。こんな所で手当をしていては…鬼に襲われてしまう。
怪我人だろうが人が増えるのは心強いので、急いではいるが見過ごす訳にもいかないから手助けしよう。一緒に山を降りれば安心だ。
息を切らした呼吸を整えながらふたつの影に旅人は近寄る。
しかし、一歩、二歩と近づくに連れ旅人は違和感を覚えた。
なんだこの強烈な鉄の匂いは。
なんだこの背筋が凍るような感覚は。
それから旅人は目を見開いた。
怪我人と思っていた人から流れ出るおびただしい程の赤黒い血。
四肢は千切れ、骨は剥き出しとなり、一目見ただけでもう生きていないと確信出来るほどの惨状。
「なんだぁ……今夜は運がいいなァ」
その惨状に覆い被さるようにしていた影が掠れた低い声で呟く。
旅人は全身の血の気が一瞬で引くのを感じる。
ああ……
この千切れた腕を、足を、この声の主が貪っている。
これは、鬼だ。
動かない。全身が逃げろと言っているのに足が動かない。
内蔵をぐしゃりと握られている感覚。足を沼に掴まれている感覚。
一刻も早くこの場から離れないと、次の瞬間には自分はあの横たわった死体と同じになる。
なのに。
「ひひっ、逃がさねぇよ。こっちも十二鬼月になるために必死なんだよぉ…大人しく食われなぁ」
鬼はゆっくりと立ち上がり、血の着いた顔を旅人へ向ける。
冷や汗が旅人の額を伝い、地面に落ちた。
その刹那。
『水の呼吸、壱ノ型…水面斬り』
鬼の頭がゆっくりと地面に落ちた。