第2章 こわさと、やさしさ
狂児の低音で大音量の啖呵に、男は目を見開いて固まった。思わず楓の髪を掴んでいた手を振り払う。その隙に狂児は男の脇腹に一発、蹴りを入れた。人を傷つけることに全く躊躇のない動作で。部屋の反対側まで男が吹っ飛ぶ。
「うあっ……」
「楓ちゃん、大丈夫か」
狂児は楓の手を取り、抱き起こす。楓はその濃い青のスーツの胸に、顔を埋めた。
「狂児さん……狂児さん、ごめんなさい、ごはん、ダメになっちゃった……うえええん……」
狂児は部屋を見渡して、テーブルの周りに散らばる料理を見た。
「ほぉーん……」
楓の方に向き直り、頭を撫でる。男に掴まれた髪を丁寧に指で梳かれた。
「怪我ないか?」
「私は大丈夫です……」
「そうか、よかった」
狂児は男の方に向き直った。男はまだ狂児に蹴られた腹部を押さえて床に転がっている。鈍い音がしたので、恐らくあばら骨が折れているだろう。
「あの……狂児さん」
「結束バンドある?あとガムテープ。なかったらタオルとか紐でもいいわ」
「は、はい」
口調こそ普段と変わらないが、白目が少し赤くなり、横顔のこめかみに、血管が浮いているように見えた気がする。こんなに怒っている彼を見たのは初めてだった。
やっぱり、怖い人や。楓はそう思いながら男を拘束するための道具を探しに行った。
「おうコラ、にいちゃん」
「あ……い……」
「よう俺の女に手ェ出してくれたな。カタギやからて容赦せんぞ」
「……え……」
低音で巻き舌混じりの脅し文句に、男の顔色がさあっと変わった。狂児は男の脇腹に再び蹴りを入れる。
「あぅっ…すいません……」
「謝って済む問題とちゃうよなあ?女の部屋に勝手に入って体に触るて、一線越えとるで」
「すいません……すいません……もう楓には近づきま……」
「何が楓、じゃ、おい、楓さん、やろがい!」
狂児は男の前にしゃがみ、髪を掴んで頭を揺さぶった。男は情けない声を上げて泣いている。楓はようやく見つけたガムテープと結束バンドを急いで彼に渡す。
「あぁ、サンキュ」
「狂児さん……」
男にあまり関わりすぎないで欲しい。危害を加えると、狂児にとってもよくないことになりそうだから、不安だった。
「大丈夫やで」
楓の心を知ってか知らずか、狂児は立ち上がって楓の頭を撫でる。その姿は、いつも見る普段の温和な狂児だった。