第1章 朧月夜
ギュッと目を瞑って俯く彼女が、膝の上に置いた左手は、制服のスカートに皺を作るくらい強く握っている。
今にも泣き出しそうなのを堪えながら、それでも声を出す。
「私、クラスの人の持ち物は、落ちとったやつ拾う以外で触ったことない」
「うん」
「元々こういう目つきなだけで、睨んどうつもりもない」
「うん」
「花は、花瓶の水替えようとしただけで…でも違う言うても、誰も信じてくれへんくて…」
「うん」
今彼女が言っているのは、彼女が受けた仕打ちのほんの片鱗に過ぎないのだろう。
けど、その片鱗を聞くだけで、体のあちこちに硝子の破片か突き刺さって来るようだった。
誰に話しかけても反応が返ってこないのが当たり前。
そうかと思えば、自分の手が届かないところから勝手な想像を押し付けられ笑われる。
違うと言っても高野小夜の言葉に反応する人間は教室に居ないのだから、誰も耳を貸さない。
それに対して落ち込んだり悲しんだりしていると、遠くから笑われるから感情をあまり表に出せない。
こんな生活が毎日、何年も続けば、次第に「違う」と意見を発すること自体億劫になるのも無理はないだろう。
ついさっき知った彼女の性格上、迷惑になると思って誰にも言わなかったに違いない。
ゆっくりとした動作で顔を持ち上げた彼女が開いた目はわずかに潤んでいるように見えた。
「何で私、皆に嫌われてもうたんやろ」
皆が嫌がるようなことしてもうたんかな?
何があかんかったんかな?
どんな言い方でもええから、ハッキリ教えて
きちんと謝りたいから。あかんとこ、全部直すから
空雑巾を絞るようにして紡がれたその言葉たちは、白石から言葉を奪うのに十分すぎた。
きっとそれが、何年も何年も胸に抱えて、誰にも言えずに心の奥底に仕舞っていた彼女の本音。
白石にとっての「本当の高野小夜はどんな人なのか」がそうであったように、彼女にとっての誰にも聞けず、自分の胸に聞いても出ない答えの問いが、今の言葉だったのだ。
たった数日悩んだ白石だって、答えが分からなくてあんなにモヤモヤした。
ランドセルを背負った頃からずっと考えている彼女にとって、その疑問の答えは喉から手が十本くらい出るほど欲しいに違いない。
不安げに揺れる大きな右目に、白石自身が歪んで写っているのを見た時。
考えるより先に言葉を口走っていた。