第1章 朧月夜
「俺は…俺にはクラスの奴の評価で態度変えるような友達居らへんし、俺自身、誰に何言われてもあんま気にせんからどうでもええ…高野さん自身が嫌やって言うんやったら、もうせえへん」
静かな保健室に響いた声に、彼女の背筋がピンと伸びる。
目を合わせる。それだけでこちらの言葉を真摯に受け止めようとしているのが分かった。
「けど…高野さんは、それでええん?」
「ええも何も、自分でそうしよう思ってやったことやから…」
「それは自分で望んでしたことなん?」
白石の言葉に、氷のうで隠れていない方の彼女の目が大きく見開き、一文字になっていた唇もわずかに緩んだ。
彼女に投げかける言葉を探すように、射抜くように彼女を見つめて声を紡ぐ。
「ホンマは嫌なんちゃうん?」
「…もう慣れたから大丈夫」
言葉は理路整然としていても、澄んだ声は僅かに震えている。
今までまっすぐこっちを見ていた目が、憂いを帯びて下に向いていく。
罰ゲームで告白をされ、傷ついた姿を周囲に笑われて「大丈夫」と言った少女の顔色が、みるみる浮かないものになっていく。
「…ホンマに大丈夫?」
「心配してくれるんは嬉しいけど、ホンマに大丈夫やで」
氷のうを当てていない方の目が瞬きをしてから、微笑んだ。
朝露に濡れた花のようなその微笑みが、無理矢理浮かべているものなのはわざわざ問い質すまでもない。
繰り返し発する「大丈夫」という言葉は、彼女の傷付いた心を守るための魔法の呪文なのだろうか。
そう言い続けていなければ、大丈夫じゃなくなってしまったら、壊れてしまうから。
見ていられたのは、そこまでだった。
「…『何で』って、思わへんの?」
その言葉を投げかけた、その瞬間。それまで俯きがちだった彼女の顔が勢いよく持ち上がった。
正面で捉えた高野小夜の顔は、今まで見たどの顔とも違う表情をしている。
まるで、地獄に送られた死人が天へと続く一本の蜘蛛の糸を見つけた時のような、希望の一筋を見つけた時のような眼差しを、真っ直ぐこちらに向けてきていたのだ。
「…思っとう」
蜘蛛の糸をたぐり寄せるように、声を喉から絞り出すようにしてそう言った。